ピクシブ百科事典

アドルフ・ガーランド

あどるふがーらんど

アドルフ・ガーランドとは、ドイツ軍の空軍中将。
目次[非表示]

概要

1912年3月19日、ドイツのヴェストファーレンのヴェステルホルトにラインラント人として生まれた。
スペイン内戦、第二次世界大戦の時に戦闘機パイロットとして活躍し、第26戦闘航空団司令、戦闘機総監、第44戦闘団司令官に就き、最終階級は中将で、パイロットとして出撃した折の負傷で入院している状態で終戦を迎えた。ドイツ空軍の著名な人物の一人であり、パイロットとして705回出撃し、撃墜機数104機を記録したエースパイロットでもある。

逸話

自身の戦闘機にパーソナルマークとして、葉巻をくわえ、手に斧と拳銃を持ったネズミをあしらっており夢の国チキンレースに参加した最古の著名人。
http://img11.hostingpics.net/pics/393838galland7_gr.jpg

黒煙草葉巻が大好きであり、彼のBf109の操縦席には酸素マスクが必要な高度で火を消した葉巻をかける為の特別な金具が付けられていたという。

酒と食事と葉巻煙草への彼の趣味から、ゲッベルスの宣伝効果もあり英側には戦場の洒落者として知られていた。

騎士道精神を重んじ、落下傘で脱出した敵パイロットを銃撃する事をヘルマン・ゲーリングからほのめかされた折にも断固拒否したという。また後にバトル・オブ・ブリテンを描いた映画「空軍大戦略(邦題)」に関った折にはスタッフに最後の騎士の時代を描けと述べたという。

スペイン内戦での経験から空軍の直接地上支援の報告書を出して上層部の注目を受け、その方面の専門家としての道に進まされそうになった為に、ポーランド戦が終わった後には仮病でリューマチになったとし、担当医に風防の無いコクピットの飛行機に乗るのを禁ずるという診断書を書いて貰い、風防無しの複葉機であるHe123急降下爆撃機からBf109を擁する戦闘機隊に移れたという。

根っからのファイターであり、テオドール・オスターカンプ少将の誕生日祝いのパーティーに出席する折にはわざわざイングランド経由の大回りコースをとり迎撃してきた英空軍機を撃墜したり、出撃禁止命令が出てもテスト飛行という名目で出撃したり、第44戦闘航空団司令官の折りにも自らMe262に搭乗して出撃している。

1945年1月、これまでもゲーリングと対立していたガーランドは遂に戦闘機総監を解任されたが、唯一ドイツ本土防空戦に有効な兵器となりつつあったジェット戦闘機Me262を配備した戦闘航空団の編成をヒトラー総統に許可され、その人選も任された事からドイツ空軍の精鋭に声をかけまくり、一介の戦闘航空団でありながら中将を司令官とし騎士十字章が隊員章だと言われるほどの高位エースを集めた第44戦闘航空団を編成した。
もっともガーランドは当初はMe262が登場した折には色物と認識していたが1943年4月22日に試乗して「まるで大勢の天使達が後ろから押してくれるようだった」と評価を改め、戦闘機生産はBf109の量産をやめ、Fw190の生産を絞り、Me262の生産に全力を注ぐべきだと意見書を出すほどであった。

関連タグ

ドイツ軍 ナチス
アドルフィーネ・ガランド(「ストライクウィッチーズ」で彼がイメージモデルとなったキャラクター)

pixivに投稿された作品 pixivで「アドルフ・ガーランド」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 8227

コメント