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SEGAの音楽ゲーム「CHUNITHM」の登場キャラクター → アンナプルナ


概要

世界に14座ある8000メートル峰のうち10番目に高い山で、標高は8091メートル。

山域全体がネパール領内にある。

エベレスト山が存在する地域から西に数百キロメートル離れた地域にある。


いくつかの峰が連なって山塊を構成しており、アンナプルナI~IV峰が東西に並ぶ。4つの峰はいずれも標高7000mを超え、周辺一帯に雪崩の多発する険しい地形が広がる。I峰から南に少し外れたところにはアンナプルナ南峰(7219m)が存在し、このほか独立した山とみなされないものを含めると多くの高峰が密集するヒマラヤ山脈の中でも有数の高山地帯となっている。

アンナプルナのすぐ西側には谷を挟んで、別の8000メートル峰であるダウラギリ(8167m)が隣接している。


1950年6月3日、フランス隊によって初登頂された。世界でもっとも早く人類によって登頂された8000m峰である。

山名の意味はサンスクリット語で「豊穣の女神」。


……と、ここまでなら「特に大したことない普通の高い山なんじゃない?」と思われるだろうが、どっこい。

その後2018年までに登頂に成功した登山者数は約260名と8000m峰14座の中でもっとも少なく、

(1位のエベレストは9千人を超えている)

逆に死亡率(登頂者数に対する死亡者数、で計算)は27%とワーストワン。

このことから登山界では「死の山・キラーマウンテン」という異名で恐れられている。


何故そんなに危険なの? の理由は、主な登山コースのうち南側ルートは高低差最大3600mにもなるという大岩壁で、初登頂ルートでもある北側は進行するだけなら南側より難易度はマシであるもののどこもかしこも雪崩とクレバス(氷河の割れ目)の巣で、南側とは別の方向性で危険性が高い、という悪条件の塊だからである。


よって安易な気持ちで近寄っちゃダメな山、なのである。


1950年仏国登山隊のキセキ

「いったいアンナプルナはどこにあるんだ?」


               ――モーリス・エルゾーグ著『処女峰アンナプルナ』より


前述したようにこの山の初登頂は1950年のフランス登山隊によって達成されたのだが、これが文字通りの「知らぬが仏」だったとしか言いようのないそれであった。


  • 選ばれた遠征隊員9名のうち、ヒマラヤ経験者は同行カメラマンひとりだけ。しかも彼が行ったのは広いヒマラヤ山脈のまったくの別地域で、ネパールへ入ったことがある者は一人もいなかった(それまでの鎖国政策により、外国人が同地へ入国できなかった背景があったとはいえ)。
  • 通常このような未知の地域への遠征登山では事前に偵察部隊を派遣し、現地情勢や登山ルートの確認等を行うのがセオリーなのだが、フランス山岳会はそんな面倒臭いことをせず、「同じ地域にあるダウラギリとアンナプルナ、どっちか登れそうだと思った方を登ってきてよ♡」といきなり本隊を送り込んだ。そのため隊員達はまず全員手分けして目指す2つの山の並行偵察作業から始める羽目になり、ダウラギリは技術的に無理だと判断しアンナプルナへ目標を絞った時にはタイムリミット(モンスーンの到来)が迫り、半ば無謀な賭けともいえる短時間勝負のカミカゼ的速攻登山を強いられることになった。
  • 事前にインド測量部が作成した同地域の地図は入手していたのだが、これがとんでもない誤記誤測量だらけのシロモノ(地図に載っていない山塊や谷が次々と見つかる、地図に道だと記載されている所へ行ってみたら到底通行不可能な渓谷だった、アンナプルナの山頂近くには峠道が通っているとあるがそんな都合のよすぎるものはどこにもなかった、等々)で、結局彼等が現地偵察段階でまず始めなければならなかったのは「地図の間違い探しゲーム」だった。一体どこのどいつがこんなデタラメな地図作りを教えたんだ‥‥?

結局、2名の登頂隊員がチャンス一回っきりの山頂アタックこそどうにか成功させたものの、その帰路にモンスーンが襲来、荒れ狂う山から全員這々の体で逃げ出すように下山せねばならなかった。幸いにして死者こそ出なかったが、2名の登頂者が代償として凍傷で失った手足の指は計30本にものぼった。

但し、この当時はアンナプルナが実は全14座ある8000m峰中最恐最悪のキラーマウンテンだということは誰にも認識されておらず、結果的に一番厄介なヤツを何も知らない仏国隊が一番最初に一発で片づけてくれたお陰でその後の無駄な犠牲者が多く出るのを防げたかも‥‥というのは、今日の山岳史家達のほぼ暗黙の了解事項である。


‥‥以上の話を信じられないという方がいたら、両手足全部の指を失ってまでこの死の山の登頂に成功したM・エルゾーグ隊長が口述筆記で執筆した渾身の著書、『処女峰アンナプルナ』を是非参照されたし。

そして最後にフランス山岳会の名誉のために補足しておくと、この時の“失敗”を素直に糧とした彼等は5年後の1955年春、世界第五位の高峰マカルー(8463m)初登頂挑戦に際しては前年の偵察試登遠征も含めた念入りな事前準備を行い、アンナプルナ隊経験者2名を含む登攀隊員8名全員とサーダー(シェルパ頭)の計9名を見事に頂上に立たせて、世界中のマスゴミを「何ひとつトラブルもない完璧な登山などニュースとして面白くもなんともねえ!」と大いに嘆かせる(苦笑)ことになるのだった。


関連項目

高山 雪山 ヒマラヤ山脈

エベレスト マナスル K2(山) 死亡フラグ

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