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コンコルド

こんこるど

「調和」を意味するフランス語。英語読みはコンコード。
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概要

  1. かつて運航されていた旅客機(SST)。現時点で実用化された唯一の超音速旅客機である。pixivのコンコルドタグの殆どがこれに関するイラストにつけられている。
  2. フランスのパリにある広場。
  3. 「娯楽惑星コンコルド」—静岡ローカルのパチンコ店。


旅客機

概要

2014年の時点では、世界史上最速の旅客機。また世界で二機種しかない一般旅客を乗せて音速飛行した機体。アエロスパシアル(当初はシュド)とBACの英仏共同開発機で、後にアエロスパシアルが母体となったエアバス・インダストリーが保守を引き継いだ。巡航速度は2.0M、巡航高度は約60000ft(=18000m)。
軍用機での音速突破が成された頃から、超音速旅客機の実現は人類の夢となり、各地で生産が目指された。そんな中、本命であった米国メーカーを出し抜く形で、初の実用化に成功したのがこの機体である。
現代の飛行機には標準装備されている「フライ・バイ・ワイヤ」が世界の旅客機では初めて搭載されたり、旅客航空機技術の最先端を行っていたが、燃費が非常に悪く、また大きな環境問題(超音速飛行に伴う衝撃波、いわゆるソニックブーム)を抱えるはめになった。
こうした問題に加え、航続距離が短く、大西洋線にしか使えないことが仇となり、太平洋線就航を計画していたパン・アメリカン航空(パンナム)や日本航空(JAL)が発注をキャンセルしてしまい、その他の多くの航空会社も、開発の遅れなどがたたり、オイルショックが追い打ちをかける形で発注をキャンセルしてしまった。
結局、試作機、量産先行機を含めて僅か20機のみの製造であり、実際に旅客運行された機体は開発国でもある英仏両国のフラッグキャリア、エールフランスブリティッシュ・エアウェイズの運行した16機だけである。
特徴的な三角翼も超音速飛行に特化した結果低速飛行、特に離陸時に揚力を得にくいなど欠点も多かった。
故障や事故も多発し、機齢も30年に達したことで2000年の時点でかなりの老朽化が進んでいた。
問題こそ多々抱えていたが、当時としては技術的な傑作機といって差し支えないほどの性能を有しており、コンコルドで培われた技術や志は様々な形で後世に引き継がれていった。

終焉

2000年7月、エールフランスの機体が墜落事故を起こして(直前に飛んだDC-10が落とした金属片を踏んだ結果、ランディングギアのタイヤがパンクしてその破片が翼の燃料タンクを叩いて破裂させた結果燃料に引火、それに伴いすぐそばのエンジンを2基喪失、既に停止できるタイミングも逸していたため無理やり飛ぶも、タイヤの破裂でセンサーが故障しランディングギアを格納できなくなっていたことも重なり飛び続けることが出来ずに墜落した。コンコルドとその操縦士たちの名誉のために書くが、金属片を踏んだ時点でコンコルドの結末は確定しており、対処は不可能だった。)問題となり、コンコルドは一斉に運行が停止された。これについては改修工事を行い、一時期は復活に期待もかかった。しかし翌年9月、アメリカ同時多発テロが発生、これに伴い欧米の景気の悪化と世界的な航空不況、燃油高が発生した。これにより、もはや同機を使用するだけの採算性が無くなってしまったことから、2003年11月をもって完全に退役し、人類が夢見た超音速飛行は幻と化してしまった。

その後

引退後は一部機体が静態保存されることとなったが、コンコルドが飛び立つ姿は永久に見ることが出来なくなってしまった。
しかし、世界は超音速旅客機飛行を諦めたわけではなく、途上国ではこの実現に関して新しい様々な提案を行っており、先進国でもアメリカがNASAを筆頭に超音速旅客機研究を継続中である。
余談ではあるが、アメリカは、上述したパンナムやトランスワールド航空の主導により、米国製超音速旅客機の開発を、コンコルドと同時期に行っていた。この結果ボーイングによりB-2707が計画された。同機はコンコルドの2~3倍の収容数を誇り、航続距離も伸び、実現寸前まで行った…のだが、やはりオイルショックが原因となって計画は潰れ、アメリカは超音速旅客機開発を一度諦めてしまった。それ故にその思い入れは強いものがあると言える。
欧州においても、超音速旅客機の開発を諦めたわけではない。最大の難点であるソニックブームの発生と燃費の悪さを改善するための研究は続けられている。
また、コンコルドの製造は、当時アメリカに負けっぱなしであった欧州航空機製造業界に一筋の光を差したものとも言える。製造から40年が経ち、かつて世界最大の旅客機製造国であったイギリスこそ旅客機製造に関する力は相対的に低くなってしまったが、フランスのアエロスパシアルはドイツと手を組み、今や世界の大型・中型旅客機のシェアをボーイングと二分するエアバス・インダストリーを作り上げた。
エアバスの思想は当初こそコンコルドとは全く異なる経済的旅客機の開発からスタートしたものだが、それでもボーイングが計画を放棄した完全二階建て機種・A380を製造するなど、コンコルドによって体現された世界への「航空旅行への夢と憧れ」の志を、違った形で引き継いでいることもまた事実といえる。
その「航空旅行への夢と憧れ」を航空機メーカーが、そして世界の人々が持ち続ける限り、人々が再び音を越えた速度で旅行をする日は、そう遠くないのかもしれない。

その他

運行時の運賃は他の旅客機のファーストクラスより高額であり、スーパーソニッククラスとされ、R(このコードは後にシンガポール航空がファーストの上位として設定したスイートクラスに流用された)のクラス予約コードが使用された。
もっとも、ソフトサービス(機内食など)こそファーストクラス級ではあったが、座席そのものについては、3時間程度の乗機時間なのもあってか、ファーストクラスがベッドにもなれる座席まで進化する中、せいぜい新幹線のグリーン車程度の座席のままであった。
機体の窓は、機体と窓の熱膨張率の違いからハガキ程度の大きさであり、更に超音速航行中の機体熱の上昇から、触るとかなり熱かった。また、巡航高度は通常の旅客機より遙かに高いため、成層圏にまで達し、機体から見える景色は通常の空より濃い紺色の空模様をしていた。

亜種?

コンコルド、アメリカのB-2707の他に、もう一つ開発され、実際に製造されごく僅かな期間だが旅客運行をした超音速旅客機が存在する。
それこそが旧ソ連ツポレフ設計局が開発したTu-144旅客機である。
東側の超音速旅客機として、西のコンコルドより2ヶ月早く初飛行した。見た目はコンコルドとそっくりであり、折り畳み式のカナード(先尾翼)の存在程度しか見た目の違いがない(他にはコンコルドがオージー翼と呼ばれる特殊な形の主翼なのに対し、Tu-144はダブルデルタ翼だった)。そのためか、西側諸国では「ソ連のスパイがコンコルドの設計図を盗み出して作った」という説がまかり通り、「コンコルドスキー」の名称で呼ばれてしまっている。
しかし、燃費が非常に悪かった事や、正式就航前に2度墜落事故を起こしてしまった事、そも開発経緯が当時のフルシチョフ政権(スプートニク計画や世界初のSLBM搭載潜水艦の就役を実現させた)による西側への意地という事情もあり、生産数は原型機も含めわずか16機、旅客運行は102便と短命に終わってしまった。

なお、1996年には米露共同による次世代超音速旅客機開発の試験機として、最新技術を盛り込んだTu-144LLが製造(厳密には改造)され、アメリカで数年間使用されている。
ツポレフはTu-144LLの結果も踏まえて次期超音速旅客機(大型のTu-244、小型のTu-444)の開発に取り組んでおり、実のところ一番実現可能性が高いのではないか、とも言われている。

余談

経済学の用語で、「サンクコストの誤謬」を、「コンコルド効果」と言い換えることがある。
サンクコストの誤謬とは、収益が上がらないことがわかっているのに、投資したお金に固執するあまり、損切りができずに損失を拡大させてしまうことをいう。
コンコルドは、開発段階で採算が合わないことがわかっていたにも関わらず、開発費の回収をあきらめきれず、赤字経営のまま飛ばし続けたことから、この言葉が生まれた。
身近な例でいえば、ギャンブルの負けを取り返そうとさらに金をつぎ込むようなものである。

関連イラスト

shall we fly ?
栄光と悲劇の怪鳥


イラストでも描かれる特徴的な曲がった機首は、空気抵抗の為に長くなった機首が着陸の際に下方の視界を遮るので、着陸に支障が無いように可変式とされたもの、つまり飛行時は真っ直ぐ伸びている。

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