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司馬懿

しばい

姓「司馬」名「懿」(字「仲達」)。三国志演義後半の主役の一人で諸葛孔明最大のライバル。 魏の曹家四代(曹操・曹丕・曹叡・曹芳)に仕えていた。
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来歴

姓「司馬」名「懿」(字「仲達」)。三国志演義後半の主役の一人で諸葛孔明最大のライバル。
魏の曹操に仕えていたが、
曹操は晋書によると「人に仕える男ではない」と重用しなかったようだ。
他にも出仕の時の逸話に関しては魏略と晋書で内容が全く異なっている。

彼亡き後、曹丕に取り立てられ出世。曹叡の時代には曹真から軍権を引き継ぎ、北伐と言う名の孔明の侵略から国を守りきった。
その後政局の腐敗に陥った魏を立て直すため、クーデターを起こして政権を奪った。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということわざにもなったが、仲達本人は「生きてる人間の腹なら読めようもあるが、死んでる人間の腹など誰にも読めようか。笑いたい奴には笑わせておけ!」と豪快に許したとか。
つまり、孔明をもってしても仲達の守りを完全に打ち破ることはできなかったのである。

余談だが中国のトランプでは孔明と一緒に仲達がジョーカーの役となっている。

北伐についてのエピソード

孔明の北伐に対する方策(及びそれを基にした演義の描写)から持久戦が得意というイメージが強いが、彼自身はむしろ電撃戦を得意としていたようである(これは魏という国全体の特色でもあるのだが)。

実際、第一次北伐の際には孔明に呼応して反乱を起こした孟達の拠点、上庸まで通常一ヶ月はかかるところをわずか八日で進軍。敵の足並みがそろわぬうちに反乱を素早く鎮圧して孔明の計算を大きく狂わせた(ただし、この当時に北伐に直接相対していたのは曹真である。司馬懿が同席しているのは演義のみ)。

どちらにしろ彼の北伐に対する方策は「兵站の弱い蜀の事情」を突いた戦法だったし、
そもそも魏の側は敵を殲滅せずとも、相手に勢力圏を築き上げさせなければそれでよかったのだった。
これらの方策は蜀(諸葛亮)を最も望まぬ展開に引きずりこんだ彼の賢明さを称えるべきであろう。


で、膠着状態に陥った五丈原で業を煮やした孔明は過激な挑発に出るのであった。
司馬懿の陣営に孔明からの使者が来たのだが、そこで送られてきたのは女性の服および、「大軍を率いておきながら立てこもったままとは臆病者め。そんなに閉じこもっていたいなら女人の服を着て家事でもしていろ」と言う内容の手紙であった。
これには我慢強い司馬懿も頭に来たが、即座に思い直し「わざわざ敵陣にこんなもの命がけで持ってくるとは、あなたも大変だな」と丁重に使者をもてなして帰らせた。
司馬懿は持久戦の効果がこの挑発の形で現れたこと、孔明が切羽詰まっていることを冷静に解析したわけである。その顛末を聞いた孔明は途方に暮れたそうな。

「晋書」の記述によると

妻(正室)に抗議の意味で断食されて謝った時に
「老婆の命を惜しんだのではない。息子が心配だった」と捨て台詞を言った。
もちろん本気の憎しみによる言葉であり、「老物可憎(老いぼれ婆)何煩出也(なぜ出て来て煩わせるのか)」と妻を罵倒する言葉も書かれているので愛情の裏返しじゃあない。
忘れられがちであるが、側室の柏夫人を寵愛していたと記述されている。
そのため断食の逸話を事実とするならば、正室とは険悪な関係だったという意味の記述である。

詳しくは張春華の記事を参照のこと。

一部では恐妻家と信じる人もいるが、晋書にすらそのような記述は無く、完全なる誤解
「重んじる」という意味の記述を質の悪い三国志本が誤訳し、
そこから三国志大戦といった後作の創作設定やインターネットなどで間違いが広まったのが原因のようだ。

また、晋書によると彼は首が180度後ろに回せるという特異体質の持ち主であった。
それをおもしろがった曹操がある時司馬懿を後ろからいきなり呼びつけた所、確かにぐるりと首が後ろに回ったのだが、改めて彼の顔を見た曹操は「こいつは見た目は従順そうだが根っこに野心を抱えているな」という印象を抱いたと言われている。

ただし以上の「晋書」は胡散臭い逸話を大量に採用している史書として評判が悪いのでこれらの逸話のほとんどは眉唾ものである。

その後の活躍

諸葛孔明が死んだ後の司馬懿の活躍はあまり知られていないが、死ぬまでその辣腕ぶりが衰えることはなかった。

そんな中で面白いエピソードとして、遼東の地で反乱を起こした公孫淵の討伐がある。
反乱鎮圧を命じられた司馬懿は時の皇帝・曹叡(曹丕の息子)に「反乱鎮圧はどのくらいかかるかね?それと公孫淵はどんな手を打ってくると思う?」と訊かれたところ、
「そうですね…行きに100日、帰りに100日、戦闘に100日、兵士の休養に60日、…まぁ、一年もあれば片が付くでしょう。
公孫淵めがとる手段と言えば、城を捨てて逃げるのが一番良し、遼水の地で戦うのが二番目。襄平に篭もろうものなら生け捕りにされること請け合いですが、奴は城を捨てられるような男ではなく、さりとて二番手を取れるほどの頭もありません」と答えた。
他に部下にも「こちらの兵力が多く兵站の確保が難しいときには、ある程度犠牲が出ようとも速戦で片付けるべきだ。逆に兵力が少なく兵站が安定している場合は持久戦に持ち込むまでよ」とも語っている。(漫画三国志完結編では孟達の反乱の時を部下が引き合いに出したが、今回はそれとは逆の立場であると説得させている)
果たして結果はまさしく司馬懿の言った通りになり、公孫淵はボロ負けからの兵糧攻めを食らった挙げ句、降伏も許されず殺された。(なお電撃戦を得意とした司馬懿なのでフルボッコにした時点で勝ち確だったかもしれないが、中央の政争に巻き込まれるのを避けて敢えて引き伸ばしたという見方もあったりする)

で、この時の口上がまた凄い。和睦の使者をその場で斬って一言、
「貴様らはの故事を知らんのか?私も魏帝から列侯に封ぜられた身、王建(和睦の使者)ごときに『囲みを解け』『軍を退け』と指図されるいわれはない。王建は耄碌して主命を伝え損なったのだろう。次は若く頭の良い者を寄越すがいい」
「戦には五つの方法がある。戦うか、守るか、出来なければ逃げるか、降る…そして貴様は降ろうともしなかったな。ならば死ね、人質など要らんわ!」(人質を送って恭順を示すという文書に対し)
……見栄を張って降伏でなく和睦という手段を選んだ公孫淵がアレとは言え怖すぎる。絶対に敵に回したくない男である。

その後、仮病を使ったりボケ老人のふりをしたりと権謀術数をもって政敵の曹爽を打倒。魏の実権を掌握した。

臨終の際の息子たちへの言葉は「魏の臣としての節度を忘れず、仕えること(意訳)」であったという。
建前上なのか本音なのかまでは判然としないが、少なくとも彼自身はクーデターを起こし実権を握ったとは言え、形式的立場上ではまだ魏の臣、そして事実上においても最期まで魏の臣として生きていたことだけは紛れもない事実である。
蜀呉がまだ残ってるうちは反乱を匂わせる遺言は出来なかったとも言えるが。これは彼を取り立てた曹操の立場と類似しており、死後に皇帝の座を禅譲させたのも同様(ただし曹操は子、司馬懿は孫が帝位に立った)である。

各種メディアでの司馬懿


横山三国志

いかん!これは孔明の罠だ!


孔明の罠」という名文句を生み出したことで有名。

真・三國無双の司馬懿

+ 司馬懿 +


CV:滝下毅置鮎龍太郎
1から参戦。曹操に才能を見出され配下となった軍師。激情家で自尊心が高いが、
冷静な判断力も持っており、次代の覇権をねらう野心家でもある。(特に後者は5以降顕著になりつつあり、本当に魏へ反旗を翻す展開も用意された)
「馬鹿めが!!」「フハハハハノヽノヽノヽノ \ / \/ \」という異常な程の高笑いが有名。それと度々『凡愚』との言葉を使用する。
史実同様諸葛亮とはライバル同士。武器も同じくビームを出す羽扇。(1では剣、5では鉄糸)
曹丕に対しても信頼されてはいるが本人は表上従っているだけの事でしかなくいずれは裏切るつもりでいる。当の本人にはバレバレだったりするが。
「6」では所属勢力が魏から晋へと変更され「5」同様、息子らと共に魏に反乱する首謀者となる様子が描かれ、シリーズ中唯一所属勢力が移籍したキャラでもある。
また同作から「才ある者が世を治めるべし」というスタンスに変わっており、乱を起こした理由も「凡愚の殲滅」となっている。

「7」では正妻・張春華が参戦。鉄線は張春華に譲り、自身は新しく「拂塵」を武器として使用する。
ちなみに7empiresでは「おしどり夫婦」でのシーンで張春華に珍しく感謝の言葉を送るのだが、「熱でもあるんじゃないの?薬出しますね(要約)」と返される。「晋書」での振る舞いを考えるとなんとも皮肉である。
曹操を「天下に相応しい漢」、曹丕を「覇道を継ぐに足る器」と評価する台詞すらある。

無双OROCHIシリーズでは戦国無双の伊達政宗と一緒になる事が多い。
政宗自身も初登場時すら『馬鹿め!』と叫んでいるためか。
政宗に馬鹿めと言われ、「馬鹿めとは…馬鹿め!」と返したり
魔王再臨ドラマティックモードの下邳の戦いでは共演したりしている。
2の広宗の戦いでは司馬懿・政宗合わせて10回以上、『馬鹿め!』と言う。
(最近の司馬懿は「馬鹿め!」より『馬鹿めが!』の方が多い。)
ちなみに、司馬懿の話だが、上記の広宗の戦いは箱に入った娘を探すシナリオである。
その正体は「ガラシャ」。と言うことは、つまり……
ちなみに、このシリーズで彼が魏を離れた時に息子の昭はもちろん郝昭鄧艾鍾会といった魏の後期に活躍した武将達も離反している。

担当声優である滝下の逝去後、『真・三國無双7 猛将伝』と『無双OROCHI2 Ultimate』の2作品ではライブラリー出演という形になっている。
7Empiresからは息子の司馬師を演じた置鮎龍太郎が親子二役を務めることになる。

『蒼天航路』の司馬懿

主の手


作品が曹操の死で終了するため、作中では目立った活躍はない。が、上述の首を180度後ろに回転させられるシーンは描かれている。

SDガンダム三国伝』の司馬懿

夏兄弟「「三国伝がスパロボ参戦だそうですよ」


演者はサザビー司馬懿サザビーを参照。
なお、彼の弟子として郭嘉こと郭嘉ヴァサーゴがいるが、史実的には真逆である。と言うか、司馬懿が曹操に仕える頃には郭嘉は既に没している。

妖怪三国志

司馬懿ではなく字の『仲達』として登場、USAピョンが担当する。プレイヤーが選択する3人の主人公のうちの1人。

『ドラマ三国志 2010年版』の司馬懿

演:倪大宏
吹替:佐々木勝彦
上記のように、本国中国でも諸葛亮の引き立て役としての活躍ばかりだった司馬懿だが、
こちらのドラマでは主役クラスの活躍を見ることができる。
『魏』の勢力では、曹操の次にキャスティングされていることが公式ページでも分かる。

登場も『三国志』の話としては非常に早く、『赤壁の戦い』直後から登場。
曹操には危険視され、重宝されなかったが、曹丕には信頼され、彼の支えとなっていく。
そして曹叡の時代には彼は全幅の信頼を置かれる。

もちろん、諸葛亮の北伐におけるライバル格としての登場であり、主人公側ではないのだが、彼の最大のライバルであったことがよく描かれており、
また、最終話にして後日談的に描かれる正始の変のエピソードは、彼が主人公として『魏』の全権を握ったところで物語は完結していく。

息子司馬師司馬昭、さらには孫の司馬炎も登場。
司馬昭にいたっては、司馬懿の参謀並みの活躍を見せ、無双シリーズなどで司馬昭のファンとなった人には嬉しいところである。

歴史的な意味もあってか、次男の司馬昭の登場のほうが遥かに多い。

反三国志』の司馬懿

の王や文官は逆賊としてこき下ろされるが、武将は滅びを覚悟で忠義を通したとして称えられる」という文脈の下、魏の武将をリードする者という扱いで魏の中ではかなり優遇されている。
「負け続けた自分に大将の資格はない、一兵卒として戦死する事にした」と発言して部下に「いいえ、責任を感じるならなおさら今後も大将でいて下さい」と諌められ思い直すなど、相当に骨があり信頼される武人。
しかしその最期は孔明の罠地雷で黒焦げになる(演義で雨に阻まれた事が実現)という悲惨なものであった。
尤も諸葛亮はこの後「主君が逆賊とは言え、忠節を貫いた立派な人をこんなにしてしまった」と悔やみ心身を病み、蜀漢軍の行った殺傷全部の責任を取るかのように病死している。

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