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汐留駅

しおどめえき

汐留駅とは東京都港区にあるゆりかもめ(U02)と都営大江戸線(E-19)の駅。また、国鉄の貨物駅が1986年まで存在した。
目次 [非表示]

1.1986年に廃止された国鉄の貨物駅。東海道本線の貨物支線である東海道貨物線上にあった。最終的に汐留駅の一部扱いとなった東京市場駅についても触れる。

2.「ゆりかもめ」こと東京臨海新交通臨海線と東京都交通局都営大江戸線の駅。


ここでは双方について述べる。


1の概要編集

汐留貨物駅編集

東京都港区新橋一丁目(汐留地区)に位置していた駅で現在の新橋駅の東側に存在していた。元々は初代の新橋駅。

初代新橋駅は1872年明治政府文明開化政策の一環として新橋駅〜横浜駅(現:桜木町駅)間に日本で初めて鉄道が敷設された時に開業したが、1914年に250m離れた烏森駅を二代目新橋駅とし統合した。このため初代新橋駅は汐留駅に改称され貨物専用駅となり東海道本線を中心に日本各地からの貨物列車が多く発着していており隅田川駅と並ぶ東京の二大貨物駅となっていた。しかし、荷物列車が全廃された国鉄最後のダイヤ改正である1986年11月ダイヤ改正で廃止され、駅の機能は浜松町駅〜川崎貨物駅(旧:塩浜操車場)間にある東京貨物ターミナル駅に移転した。汐留駅の跡地には超高層ビルが林立したが、日本の鉄道発祥の地として記念館が同地に建てられ、東海道本線0kmポストも記念碑として建てられている。なお、現在の東海道本線0kmポストは東京駅にある。


東京市場駅編集

東京都中央区築地にあった貨物駅。汐留駅の貨物ホームの側線から分岐し築地市場の外周に平行して大きなカーブを描いた全長1.1kmの支線の終端にあった。1935年の築地市場の開場の同日に開業。水産物や青果物などの生鮮食品で市場を発着するものを専門に取り扱っていた。


1966年10月からは幡生駅〜東京市場間(山陽本線・東海道本線経由)の特急貨物列車「とびうお」、1968年10月からは鮫駅〜尻内駅(現:八戸駅)〜東京市場駅間(八戸線東北本線経由)の急行貨物列車「東鱗1号」が発着するようになった。


その後は名神高速道路東名高速道路などの全通、トラック輸送の普及もあり取扱量が減少。全国で操車場が廃止された1984年2月ダイヤ改正で駅としては廃止され、設備は汐留駅構内扱いとなる。汐留駅廃止から約3ヶ月後の1987年1月31日を以て役目を終え線路は撤去された。ちなみにこの31年後に築地市場も豊洲市場の開場に伴い役目を終えることになる。


2の概要編集

先述の汐留貨物駅と同じ東新橋一丁目にある。

両路線が上空を飛ぶカモメと地下深くを潜るモグラに例えられるように、ホームの高低差も激しく、乗り換えには時間がかかるので注意。


ゆりかもめ汐留駅(U02)編集

一面二線の高架駅(3F)。日本テレビ本社最寄り駅で、ホーム真下のペデストリアンデッキで直結している。

実はペデストリアンデッキは両隣の新橋駅竹芝駅ともそのまま直結しているが雨避けなどは用意されていない。

乗り場路線方面
1東京臨海新交通臨海線台場豊洲方面
2東京臨海新交通臨海線新橋方面

  • 停車駅

新橋駅 - 汐留駅 - 竹芝駅


都営大江戸線汐留駅(E-19)編集

一面二線の島式ホームの地下駅(B3F)。ゆりかもめからの乗り換えには一度地上に出る必要があるが、乗り換え口は雨避けやガードレールが完備された歩道の端へと寄せられているためほぼ屋内乗り換えと言っても差し支えない。

B1F乗り換え地下通路には周辺のビル群「汐留シオサイト」の入り口が数多く存在し、副駅名にも(シオサイト)が付けられている。大江戸線の改札はさらにその下のB2F、ホームはさらにさらに下のB3Fにあり大江戸線らしくかなり深い場所にある。

乗り場路線方面
1都営大江戸線門前仲町両国春日方面
2都営大江戸線大門六本木新宿方面

  • 停車駅

築地市場駅 - 汐留(シオサイト)駅 - 大門駅


関連タグ編集

国鉄 貨物駅 新橋駅

ゆりかもめ 東京都交通局都営大江戸線


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