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ILM

いんだすとりあるらいとあんどまじっく

ILM(Industrial Light & Magic)はルーカスフィルム傘下の視覚効果・CGIアニメーション制作企業。数多くの名作に関わったことで知られる。
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概要

STARWARSシリーズなどで知られるルーカスフィルムが所有する視覚効果やCGIアニメーションの制作会社。正式名はIndustrial Light & Magic。簡単にいうと、映画におけるCGモデリングや特撮を請け負うグループである


何よりこの会社の特筆すべきところは70年代以降の映画史を牽引し続けたその功績である


ILMが手がけた映画作品をいくつか並べてみよう。

...と、映画にそんなに詳しくない人でも聞いたことがある作品や映画史に燦然とその名を遺す名作の数々を扱った会社である。

その数350本以上


そして16ものオスカー賞受賞、所属メンバーの数多くのアカデミー賞受賞


そんな輝かしい業績を誇るグループなのである。


歴史

その始まりは70年代、まだスターウォーズシリーズ第一作(のちの「新たなる希望」)が制作されている時期まで遡る。当時、SF映画といえば「2001年宇宙の旅」だった時代にハイスピードの宇宙戦闘や独特の世界観を盛り込んだ冒険活劇を作ろうとしていたジョージ・ルーカスは映画の生命線である視覚効果の制作会社に「こんなもんいくら時間と費用と労力かけても作れねえよ」と軒並み制作を断られて途方に暮れていた。

その際、映画仲間であるダグラス・トランブル(「2001年」の視覚効果担当)経由でジョン・ダイクストラを紹介される。制作中の映画のことを彼に相談した結果、ダイクストラは知り合いの映画オタク仲間(というより「なにが無理でなにが無理じゃないか分かってねえ向こうみずな若手技術者」だったと当時のメンバーは振り返っている。実質反乱同盟であるし、当人たちもそう振り返っている)に声をかけロサンゼルス郊外の倉庫を借りて工房を作り上げた。これがILMの原型である。「今までにない映画の制作」という特大の難関に手こずり、さまざまな技術的問題や予算、新技術の開発、膨大な作業量の仕分けなどさまざまな困難に遭遇しつつ、なんとか公開に漕ぎ着ける。その試行錯誤の果てに公開されたスターウォーズ第一作がどのようなインパクトを与えたかは語るまでもないだろう

だが、制作の過程とその後請け負った宇宙空母ギャラクティカの問題などでルーカスとダイクストラの仲は悪化。結局訣別する道を選ぶこととなり、残留メンバーはルーカスの伝でサンフランシスコ郊外に新たな拠点を据え、ここで次作「帝国の逆襲」や「ジェダイの帰還」を手がけることとなる。このサンフランシスコの本社は2004年まで使用され、今日まで続くILMの大元となった。また、この時期からルーカスが次作の構想を練っている間の仕事として、スティーブン・スピルバーグなどの友人たちの映画の制作を請け負うようになり、のちに外部の映画の視覚効果も請け負うようになる。

「ジェダイの帰還」後、ルーカスが兼ねてから希望していた「映画制作のデジタル化」を推し進めるため、コンピューターを専門とするスタッフ、エドウィン・キャットマルを招きCG/ハードメーカー部門を創立。CG部門は画像編集用の新型ハードウェアを開発するもキャットマルはCGアニメーションを独自に制作することを夢見ていたためCG部門をスティーブ・ジョブズに売却。この売却されたCG部門が現在のピクサーである。もっといえば、「ピクサー」の社名の由来はCG部門時代に開発した新型ハードウェアの名前である。だが、CG部門の培った技術を引き継ぎ翌年に新たにCGI部門を設置。この部門は「ウィロー」での魔女の連続変身シーン(のちにモーフィングと名付けられる)、「アビス」に登場する水柱の怪物、「ターミネーター2」に登場するT-1000の液体金属の表現、さらには当時不可能と思われた「ジュラシックパーク」における恐竜のフルCGでの再現などコンピューター・グラフィックスを用いた映画制作に数々の功績を遺した。

2022年現在はルーカスフィルムのディズニーへの買収を経てディズニー傘下となりつつ、サンフランシスコの本社(2004年にCGI専門の企業になった際に移転し、それまでのスタジオは模型部門がカーナー・オプチカル社として独立し、模型作成などを行なっている)の他、シンガポールバンクーバーロンドンに支社をもつ。


主なメンバー

所属メンバーは視覚効果・CGI・デザインなどの各分野におけるトップクラスの実力者ばかりであり、特に「新たなる希望」を視聴してから映画業界を志したメンバーにとっては所属できるだけでも名誉とされている様子。

そのため多くのメンバーの中でも特に重要なメンバーについて記載


ジョン・ダイクストラ

特撮の第一人者であり、ILMの最初の素地を作った人物。当初アマチュアも多かったILMをその明晰な頭脳と気さくな人柄、圧倒的なカリスマでまとめ上げた。だが「新たなる希望」での製作費の問題やのちの「宇宙空母ギャラクティカ」での問題でルーカスと険悪な仲になり、最終的にILM移転にはついていかずロサンゼルスに残り「アポジー社」を設立(同社は90年代に解散)。その後もスタートレックシリーズなどを手がけスパイダーマンスパイダーマン2ではその功績が認められアカデミー賞を受賞した。

ちなみにスターウォーズを制作するために、正確にカメラを動かした軌道を記録・再現できるシステムが必要になった際、当時開発段階だった「モーションコントロールカメラ」を実用化。「ダイクストラフレックス」と名付けられたこのシステムはのちの特撮に多大な影響を与えた。


デニス・ミューレン

初期からのメンバーであり、当初は宇宙船模型などのカメラマンを中心に勤めていたが、のちにルーカスの進めるデジタル化の動きに伴い当時最先端のコンピューター・グラフィックスを習得、以後さまざまな作品のCG技術で多大な功績を遺した映画界の巨人である(なおご本人もかなりの長身らしく、若手スタッフからは「やっぱり歴戦の先輩ってでかいんだなあ(物理)」と思われてたそう)。その功績の中でも代表的なものが「ターミネーター2」のT-1000と「ジュラシックパーク」の恐竜である。その功績からアカデミー賞ノミネート14回受賞8回(さらに英国アカデミー賞で7回ノミネート4回受賞)という個人としては最多の受賞回数を誇る。


リチャード・エドランド

初期からのメンバー。のちの映画プロデューサー。特殊効果に関わる一方で自らもハードウェア開発に携わるという技術家の人物で、「失われた聖櫃」終盤でのキャラクターの顔が溶けるシーンや「ポルターガイスト」終盤の家が崩壊するシーンなどのインパクト抜群な演出で知られる。「ジェダイの帰還」に関わったあとILMを退社し独自の映画制作会社「ボスフィルム」を起業。同社がのちに製作したのが「ゴーストバスターズ」や「ダイ・ハード」である(同社は97年に閉鎖)。

2007年にはアカデミー協会からその功績を称えジョン・A・ボナーメダル(アカデミー科学技術賞名誉賞)が贈呈された。なおエドランドは「エンパイア・カメラシステム」と「ZAP65mmオプチカル・プリンター」という新技術により1982年と87年に2回アカデミー科学技術賞を受賞している

ちなみにILMに出会う前にはピグノーズのポータブルアンプを開発したり、スタートレックのロゴをデザインしたりと大変濃密な人生を歩んでいたとか。


フィル・ティペット

初期からのメンバー。模型作成やコマ撮りの名手であり、「帝国の逆襲」冒頭のトーントーンのシーンやAT-ATの歩行シーンは彼が手がけたもの。他にもスターウォーズに登場する数々のキャラクターやクリーチャーの製作のみならずデザインを手がけた。徐々にデジタル化が進むILMの中で模型部門の重鎮として誇り高く職務を果たし、当初「ジュラシックパーク」は彼が手がけた最高のコマ撮り映画になる予定だった...が、CGI部門が密かに進めていたCG恐竜の出来に愕然とし「私は絶滅だ」と嘆き、失意の底に沈む。しかし、それまでのコマ撮りで培った動物の行動への造詣の深さを買われて復帰し、DID(恐竜入力装置)というCG恐竜に微妙な行動の変化を入力できる装置の開発に尽力すると同時に、スタッフたちに恐竜の動作について指導も行なった。その後もさまざまな作品でその技術を遺憾無く発揮している。

ちなみに、彼の呟いた「私は絶滅だ」という言葉は「ジュラシックパーク」でグラント博士の台詞として使われた。


ケン・ラルストン

初期からのメンバー。ティペットと並び「SFXの第一人者」として賞賛されるベテラン。「ジェダイの帰還」ではエドランド、ミューレンと並んで特撮班の3人の責任者の1人に選出。のちにソニー・ピクチャーズ・エンタープライズに招かれ、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスの社長に就任。同社の再編と発展に尽力した。また「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ以下ロバート・ゼメギス監督とのタッグが多いことで有名。

なお、大変茶目っ気のあるの性格で「帝国の逆襲」の小惑星帯でのチェイスシーンでは特殊効果の小惑星がじゃがいもそっくりだからと本物のじゃがいもを紛れ込ませたり、「ジェダイの帰還」では遠景の反乱軍艦隊に自分のスニーカーを紛れ込ませたりといわゆるイースターエッグ的な小ネタを仕込むことがあった。


ジョー・ジョンストン

初期からのメンバー。当初、絵コンテが何か分からないど素人ながら、新たなる旅立ち」の絵コンテを任され、その流れで数々のメカのデザインも任されるという凄まじい職場でがむしゃらで働き続けた功労者。元デザインが「スペース1999」の宇宙船にそっくりだったから再デザインが必要となったミレニアム・ファルコンを現在の形に作り替えたのは彼である。その後も旧三部作のAT-ATなどメカニックのデザインを手がけ、「ジェダイの帰還」ののち「もう絵コンテも特殊効果もやりたくない」と辞職願をルーカスに伝えるも、彼から「なら映画学校に通いな、学費も給料の半分も出す」と提案され、のちに「ミクロ・キッズ」「ロケッティア」「ジュマンジ」「ジュラシックパークIII」など数々の映画に監督として関わる。


ジョン・ノール

「スターウォーズ」を見て映画を志したメンバーの1人。のちに「ローグ・ワン」や「マンダロリアン」にSFXスーパーバイザーとして関わる。当初は模型作成に従事していたが趣味のコンピュータースキルを生かしてILMに多大な貢献をした。

ちなみに彼と兄のトーマス・ノールが「画像編集をコンピューターでしたいけど、(当時の)コンピューターは高すぎて手に入らないよなあ」→「いや、ソフト作れるけど?」と個人的に作成し、のちに市販したのが現在のフォトショップである

なお、コンピューター関連のことばかりではなく模型撮影などの手法にも詳しく、「マンダロリアン」ではILMのメンバーに作ってもらった模型を撮影に使うべく一人で黙々と撮影装置を組み上げていたらしい。これには他のスタッフたちも興味津々だったそう。ミューレン以下ILM創設期からのメンバーの薫陶を受けたノールはまさしくILMの生き字引といえるだろう。

また、後述のダグ・チャンともども、発起人のデイブ・フィローニと共に密かにドラマ「マンダロリアン」のプランを温めていた数少ないメンバーの一人でもある。


ダグ・チャン

「スターウォーズ」を見て映画を志したメンバーの1人。のちのルーカスフィルム副社長兼エグゼクティブデザイナーにして新三部作スピンオフ作品群にも参加した重鎮デザイナー。ちなみに、フィローニ、ノールと共に「マンダロリアン」のプランをこっそり温めていたメンバーの一人でもある。のちにナブーの「N-1スターファイター」や「バトルドロイド」などの傑作デザインを生み出す。

彼もまた数年間一般企業で工業デザイナーをしたあとILMにヘッドハントされ、デザイナーとしてのキャリアをスタートさせた。ILM在籍時にはスターウォーズの新作に向けて100日間ひたすらデザイン画を描きまくったり、シーンの絵コンテを360枚以上も切ったりと凄まじいエピソードを遺している


ドキュメンタリー

ILMの設立から現在までを追ったドキュメンタリー「Light & Magic」が製作されており、Disney+にて独占配信中。



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