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熊徹の編集履歴

2021-02-12 23:01:41 バージョン

熊徹

くまてつ

アニメーション映画『バケモノの子』の主人公の一人。

「おめぇ、俺と一緒に来るか?」


「何泣いてんだ馬鹿野郎!メソメソしてる奴は嫌いなんだよ!」


概要

CV:役所広司


人間とは相対した関係にあるバケモノという種族であり、その名の如く熊を模した風貌をしている。


自らが住まう「渋天街」随一の武芸の達者であり、街の長である「宗師」の次期候補に立候補しているも、その性格と態度のせいで住民たちの支持は皆無であった。


そんなある日、友人の一人である多々良と共に人間界の街である「渋谷」を散策していたところ、道端で蹲っていた一人の人間の子供と運命的な出会いをしたことで、転機が訪れることになる。


モチーフは映画『七人の侍』の登場人物の一人・菊千代


性格

保守的な思考を持つ者が大半を占めるバケモノでは珍しく、従来の価値観や風習、常識を顧みず、飽くまで自身が見たもの感じたことで物事を判断する所謂リベラルな思考をしており、自ら決断したことに一切の迷いを持つこともなく、結果が出るまでやり抜くことをモットーとしている(本人曰く「一旦こうだと決めたら、それ以上曲げない性分」)。肩書き、名声といった周囲からの評価にも無関心であり、物語中盤で街での評価が高まったことで武人としての地位を確立して尚自宅を改築したり猪王山のような豪邸に引っ越さないなど、物欲も然程抱いていない。


しかしその反動と幼い頃から独力でものを成してきた故に周囲を顧みる意識が極端に乏しく、日頃の態度も粗暴かつ傲岸不遜で手前勝手であり、そのせいで周囲からの評判は芳しくなかった。現に決闘を行う際は相手への敬意を一切払わず、対戦中には相手を挑発するなど、お世辞にも決して褒められない行為に出ることがままあった。


多々良曰く幼少の頃からこのような性格だったらしく、故に周囲の大人たちからは「弱いくせに口だけは達者で言うことを聞かない面倒な奴」と匙を投げつけられるなどの嫌がらせを受けたこともあったという。当人曰く「思い出しても腹が立つ最低な連中」であり、この幼少期の辛い経験が彼の粗暴な一面を悪化させ周囲との隔たりを生む一因になったと思われる。


このことから、粗暴で傲岸不遜な面の根底にあるのは他者を「自分に冷たく当たり攻撃してくる危険な存在」と認識し、横暴に振る舞うことで彼らを遠ざけ、自分を守るための自己防衛本能であると考えられ、武芸に精進していたのもそんな周囲から身を守り、同時に見返すためであったと思われる。そのため結果として武芸の強さでしか他者に認められることはなかったために、それ以外でしか誇れるところがなかったと推測出来る


このような不遇な幼少期を過ごしながらも完全に悪行に走らなかったのは、多々良や百秋坊、猪王山、卯月といった理解者たちに巡り会えたためであると考えられる。


また繊細な一面もあり、図星を突かれたりショッキングな出来事があったりすると忽ち動揺することもある。劇中では九太と暮らしたての頃に彼との関係に悩んでいたところを多々良に皮肉と揶揄の言葉を言われたじろいだり、とあることから九太と一時仲違いして自暴自棄になり周囲に当たり散らしたりしていた。


次期宗師の立候補者ではあるが、実の所これといった宗師としての明確なビジョンや野心があるわけではなく、彼自身が真に欲しているのは「最強の武人としての称号」と「九太との修行の成果」である。故に宗師の座そのものには一切無頓着であり、卯月の手引きで九太、多々良、百秋坊と共に他地域の宗師らに謁見した際も、彼らの話を終始退屈そうに聞いていた挙句、「戯言を聞いていたら自分を見失うだけ」と全く参考にしなかった。


物事を言葉で具体的に説明するのも苦手であり、自らの武芸を九太に伝授しようとした際は「ギュッといってバーン」、「胸の中の剣を握るんだよ」といった、あまりに大雑把且つ漠然、抽象的な言葉遣いであった。詰まるところ、要は物事の伝達は相手の理解力任せであり、その上もし通じなければその者を「勘が悪い」と決め付けてしまう。恐らく九太以前に指南しようとした者たちと折り合いが付かなかったこれも一因であろう。しかしながら、熊徹も熊徹で他者の意図を汲み取れないことが度々あったりする。例えば、上記の他地域の宗師たちの謁見の旅はそれを計らった卯月の意図の一つとして、仮にも宗師を志望する彼に「宗師の在り方」を模索させる目論見もあったと思われる。だが当人は彼らの話に一切聞く耳を持たず何一つ学ばないまま旅を終えた有様であり、この件を踏まえれば自身の意図が伝わらなかった者に「勘が悪い」と罵倒するのは完全なブーメラン発言であると言えるだろう。他にも、自身に対して人間をバケモノ界に受け入れないよう懸命に説得してきた猪王山の意図を察することが出来なかったばかりか、その根拠を示されても「そんなものあるようには見えない」と一蹴したことも挙げられる。


このように、性格に粗が目立ちがちではあるが、必ずしも欠点ばかりというわけでもない。


その一つに、自らと同じ境遇にある者に対する厚情の念がある。独り身となった九太をバケモノとは根本的に文化や価値観の異なる種族であるにも関わらず自らの元で育てたのは、彼を嘗ての自分と重ね合わせたことへのシンパシー故であり、これによって九太との切磋琢磨の末大いなる偉業をバケモノ界の歴史に刻み、バケモノ社会の意識改革の切っ掛けとなった。これは世俗性に囚われないリベラル思考も功を成したと言える。


他にも、幼少期は「弱い」と蔑まれていたにも関わらず、現在は街随一の武芸の達者と謳われるまでの実力者にまで成っており、これは直向きに努力し続けたことが伺える。これもまた卯月に気に掛けられる要因であろう(彼もまたかなり小柄な体格故に、相当な努力を積んだことが推測される)。現在も日常的に自主トレーニングに励んでいることが、それを裏付けている。


また卯月や猪王山、九太といった気を許した者に対しては、かなり朗らかである。九太が自身をあしらえる身のこなしを身に付けてからは、彼からの助言を渋々ながらも聞き入れたり、猪王山に対してはライバル関係にありながら双方大分フレンドリーで、彼の話に耳を傾ける一面もある(猪王山が人間の危険性を説いた際も、その話を聞いた上で反論している)。卯月に対しては普段の粗暴ぶりは鳴りを潜め、口調が拙い敬語になるなど一転して低姿勢となる。


物語初期は複数のバイトを掛け持ちしてそれなりに生活出来、九太のことも養え尚且つ武芸修行にも取り組めていたことから、物事を熟す要領の良さがあると思われる。それ故か、の飼育も難なく熟している模様。


これらの長所は、九太との交流で心身共に一端の武人に成るに従って顕著となり、街でもそれが評価され認識が改められ、猪王山に匹敵する程の支持を集めていく。


尚、「物心ついた時には実の親と暮らしていなかった」、「自らを過大評価し周囲を見下す」、「尊大な精神の根底にあるのは自らの境遇へのコンプレックス」、「コンプレックスを解消するために直向きに努力し続けた」、「卯月の計らいの真意を悟れず蔑ろにした」、「自身を育ててくれた者への過剰な依存」といった境遇や心理等は渋天街のとある人物と共通している。彼はそれを克服しようとせず凶行に至ったが、熊徹は九太との切磋琢磨の果てに己を見つめ直し、結局九太なしでは何事も成せなかった自らの不甲斐無さを自覚、九太がその者との闘いで危機に陥った際には躊躇なく俗世を捨てて助けに赴いた。この行動の救済対象は九太だけでなく、実は自身や九太と同じ境遇を辿っていた彼も含まれていたのであろう。


自身を殺そうとしたにも関わらず、その者の苦悩を理解し身を挺して救済したその偉勲から、彼は紛れもなく弱者を一際想い気遣える宗師の座に相応しいバケモノであったといえるだろう。


私生活

バケモノの住む世界へ…

街の中央部にある大広場から少し離れた丘の上に「熊徹庵」という1LDK程度の広さのやや古びた小屋を住居としている。裏側には大樹が聳えるかつては倉庫として運用されていたという荒廃の激しい石造りの廃墟があり、熊徹はそこを「裏庭」と呼んで自身の稽古場としている。


卵かけごはん

センシティブな作品

生活は決して豊かとはいえず、かなり質素且つ庶民的で、朝食は鶏の産んだ卵を使ったシンプルな卵かけご飯で早々と済ませ、夕食は多々良と百秋坊と共に鍋料理を召すことが生活パターンである。とはいえ武人としての地位が向上し多大な収入を得て尚もこの暮らしぶりは変わらなかったため、単に本人が好き好んでいるだけだと思われる。因みに卵かけご飯には醤油をかけていないが、これはバケモノ界に醤油が存在しないのか、或いは熊徹が醤油をかけない派なのかは定かではない。


茶摘み熊

【バケ子1P漫画】一生懸命なあいつ…

物語当初は上記の通り、薪割り左官茶摘みなどといった様々なアルバイトを掛け持ちして生計を立てていた。このことから、定職には着いていなかったことが明らかである。とはいえ、本人の質素倹約さもあってそれでも衣食住に困っている様子は特になく、鶏を難なく飼育でき九太を問題なく養える程度には収入があった模様。


衣服や刀袋などといった日用品には太陽を思わせるマークが施されており、この他「九太」の「太」の字は太陽にも因んでいると思われることから、太陽を信奉していることが伺える。


対人関係としては、殆どの他の住民とはその破天荒な気質から折り合いが付かず疎ましがられている一方、多々良や百秋坊などといった古くから付き合いのある友人も少なからず存在する。


心のあり所…

二人は彼の常識外れな行動、言動を咎めたりすることはあれどそれでも兼ねてからの仲か常日頃より馴れ合っており、夕飯はいつも3人で熊徹の自宅で供することが日課となっている。熊徹からはそれぞれ「多々」、「百」とあだ名で呼ばれていることも、関係の深さを伺わせる。「荒くれ者」、「皮肉屋のお調子者」、「穏和な僧侶」というそれぞれの長短を補い合ったとてもバランスの取れた三人組であると言える。ついでに二人は他地域の宗師謁見の旅の際も熊徹と九太に同行していた。


猪熊

猪王山とは武芸の実力を比べ合う言わばライバルであるとはいえ、上記の通りそれ故互いを何処か認め合っている節があることから、関係性そのものはかなり友好的である。実際猪王山と劇中で初めて顔を合わせるシーンでは彼の方から熊徹に結構気さくに話しかけており、熊徹の方も間髪入れずに颯爽と返事をしていた。


しかたねーなジジイ…

現渋天街宗師の卯月からは、彼自身の寛大且つ慈悲深き精神や、境遇を同じとする者故のシンパシーから幼い頃よりその身を案じられてきた。そのため熊徹は卯月に対してだけは頭が上がらず(二人称は他者と違い「宗師」と呼び捨てではあるが)、彼から自分以外の宗師と謁見するよう指示を受けた際も渋々ながらにそれに応じた。尚猪王山は卯月の熊徹への対応に対して「どうして熊徹に甘いのですか?」と疑問を呈しているが、必ずしも熊徹は彼から厚遇されてばかりというわけでもなく、現にその質素な暮らしぶりを見るに生活援助を受けていないことは明らかな他、他地域の宗師謁見の旅に出向くよう促された際も、紹介状を渡されたのみで旅の費用は自己負担だった。とはいえ日頃の非常識さを容認されていることは事実であり、更に卯月は、人間の九太を弟子にすることを許可する=九太を街に受け入れる、という前代未聞な判断を下したことから、猪王山が「甘い」と考えるのも当然ではあると言える。

  • 誤解のないように述べると、卯月自身人間への慈心はある一方で、猪王山や世俗的なバケモノと同じく本来はバケモノと人間は関わらない方が良いと考えている節がある。事実終盤で「バケモノ社会に人間を受け入れるのは間違いだった」などと述べた渋天街の一部の議員たちのように、熊徹と九太の存在を持ってしてもバケモノ界に人間が住むことを良く思わないバケモノもいたことがその証明である。彼はそうした意見を抱く者の存在も否定はしなかったのであろう。にも関わらず九太が街に住むことを許したのは、熊徹との交流の末の成果を見込んだのと猪王山が抱えていた問題を解決するためである。

因みに彼と交友関係にある者のモチーフ動物は、人間である九太を含め殆どが熊徹と同じく雑食性である傾向がある。唯一の例外は卯月ではあるが、彼は熊徹と厳密には交友関係にあるわけではない(街の長と住民)ため、ノーカウントであると言える。


容姿

バケモノ、人間の並の身長と比較しても比べ物にならない程の巨躯を誇る。180cm以上の長身である青年期の九太や一郎彦よりも頭一つ分高い。身長は明らかにされていないが、製作された彼の着ぐるみの高さは2.2mである。


バケモノの子_熊徹

kumatetsu

毛色や瞳は赤く、私服も赤系統が多いなど、とにかく全体的に赤を基調としたイメージがある。


照れ顔

バケモノの子 熊徹×九太

羽織は背面に太陽の刺繍が施された赤いものと、紺色のものの2種類が確認出来る。


バケモノの子NGシーン

センシティブな作品

それ以外の服装に関しては、Tシャツはネックが広く胸部に大きな切れ込みの入った白無地であり、九太のものと違ってボタンは付いていない。は紺色、の色は黒であり結び目を左側に作ることに拘っている。履物はいつも素足に草履、もしくはサンダルを履いている。下着は白いで、水浴びをするシーンなどでは褌一丁になる姿が確認できる。


aways be there

修行終わりの熊徹

頭頂部の毛(頭髪?)は逆立っているが、逆に垂れ下がっているシーンも確認できることから、恐らくはセットしていると思われる。


熊徹3点盛

眉毛は極太く、目付きは鋭いなど、厳つめな顔つきをしているが、笑顔を見せた表情にはナイスガイさを感じられる。


次期宗師決定戦の際は上半身には太陽の模様が入った赤いスカーフを首元に着け、白い袴を履き腰部には白い縄を絞めている。また、この時は素足であった。


夕暮れ時のお迎え

また自前の刀剣は背中に帯刀している。


全体的に述べると、身形に関しても粗野な気質が感じられ周囲との差別化が著しいと言える。特に品と誇りの高さが感じられる猪王山との対比が印象的である。


実力

熊徹


パンチ一発でスイカや水の入った水瓶を叩き割ったり、身の丈に迫る程の大太刀を軽々と振り回せるパワーを誇りながら、巨漢にも関わらず「猿のように」と評されるほどその身のこなしは軽く、側転を披露するシーンがある他、木の枝を軽々と飛び移るなど、その身体能力は極めて高い。


彼の武術はその優れた身体能力を活かしたものであるが、誰からも指南を受けず独力で体得した技法である故に、百秋坊から「独創的」と評されるなど極めて独自性が強く、そもそも当人程の体格とスペックがなければ、それ以外の者が体得するのは実質不可能である節がある。一番弟子である九太ですら熊徹の日頃の動作を真似し、組み手を重ねた結果自己流の武の心得を得たと思われるため、彼本人の武術がそのまま継承されたとは言い難い。最も、言い換えれば熊徹を観察し実践経験を積むことで、教えを乞う者個人のスペックを武に結び付け、独自の技法を体得する武術であるとも言える。


また体得にあたって専用のフィールドは必要なく、自宅の庭や裏庭などの適当な場所があれば特に問題はない模様。武人としての名が高まってからも、豪邸へ引っ越さなかったり自宅を改築しなかったのは、これも要因であると言える(逆に猪王山の自宅が大豪邸なのは、彼の武術が体得にあたって専用の設備が必要である故に、その場所を確保するためであることが理由の一つであると思われる)。


上記のように自身のスペックを最大限に活かしている故に武芸の実力そのものはトップクラスだが、何分本人が感情に左右され易い気質であるために、それが敗北に繋がることがある


劇中で対戦したのは猪王山のみで尚且つ二度しか描写されなかったが、第一戦では顔面に打撃を食らった途端冷静さを失い以降も猪王山にリードされ続けた挙句敗北し、第二戦の次期宗師決定戦では九太が家出したショックから感傷的になり、本戦ではスタミナの消費が激しい獣形態での猛攻を無為無策で強行した結果、猪王山の冷静な立ち回りに裏をかかかれたことで難なく全て躱され遂にはスタミナ切れを起こし元の姿に戻った挙句、その後は彼の攻撃を立て続けに喰らって敗北寸前にまで追い込まれた。尚初戦は、自身の実力への過度な過信から来る敗北でもある。


また物語初期はかなり攻めに頼り切り、尚且つ山勘任せで攻撃を繰り出していたために、相手がどう出るかの予想や裏をかくといった思考を必要とする立ち回りが皆無であった。上記の敗因はこれにもあると言える。この短所は九太との修行で改善されていくことになる。


学力に関しては不明だが、人間が孕むとされる不穏な存在である「」を知る素振りがなかったことから、疎いと考えられる。最も、彼が青少年の頃は住民全員が教育を受けられる制度が確立していなかった可能性があり、上記のような要領の良さは伺えることから、正規の教育を受けていれば学問も習得出来ていたのかも知れない。


九太を通じての変化

「絶対負けない。」


強情ではあるが、上記の通り気を許した者とは打ち解け合う傾向があり、自身と境遇が類似する故に気に掛けた九太と交流を始めてからは、彼の成長度合いに従って次第に熊徹もまた意識が改まっていく。


武芸に関しては上記の通りそれまでは攻め一辺倒で攻撃手段も直感に頼り切っていたが、九太が足捌きで自身をあしらえるようになってからは彼曰く「相手に合わせる」という、言うなれば相手の動きを予測する立ち回り方を九太からの指南や組み手を重ねて習得していく。終盤の次期宗師決定戦でその成果が現れ、猪王山の裏をかく攻撃を繰り出し彼をたじろがせていた。


関係性に於いては、境遇を同じとする者同士故に相性が良く、日頃のコミュニケーション手段はいがみ合いであるが、「喧嘩するほど仲がいい」宜しく常日頃より気持ちが通じ合っており、互いの至らぬところを補い合っていると言える。後に集った他の弟子たちに技や動作の説明をすることに関しては恐らく九太がフォローしていたと推測され、熊徹の方も九太が幼少の頃は上記のように彼を養うため稼ぎに明け暮れたり力仕事を行っていた。そうして九太との切磋琢磨を重ねる内に信頼関係が育まれ、それが次期宗師決定戦へのモチベーションへと繋がっていく


しかし一方でそれまで家族と呼べる存在と触れ合ったことがなかった故か、過剰なまでに九太への依存が強い。上記のモチベーションも、言い換えればそれの表れであるとも言える。


九太が青年に成長した際には、本来であれば彼の独り立ちを促し受け入れるべきであるにも関わらず、相変わらず九太を半人前呼ばわりして自主行動を許そうとせず、遂には彼の不審を買って一方的に離別を言い渡された。


その途端かつてのような横暴さが目立つようになり、その最中で次期宗師決定戦を迎えてしまった結果、九太との修行で身に付けた相手に合わせる立ち回りは何処へやら、かつてのような攻めに偏りきり勘に頼りっぱなしの無為無策な攻撃を繰り出したことで却って窮地に立たされるという失態を犯した。


その後九太が舞い戻ったことで形勢を立て直し勝利を収めたが、身も蓋もないことを述べればこれも彼の存在に依存しきった成果であると言え、熊徹個人が成した訳ではないと断言出来る。実際当の九太からも「一人でもさっさと勝てよ」と叱責され、卯月からは「熊徹一人なら勝ち目はない」と言い切られていた。本来であれば九太が側に居ずとも、それまでの修行をよく踏まえて上手く立ち回っていればそれなりに善戦出来ていたであろう。


結局生涯のうちに、精神面に於いての欠点は克服出来なかったと言える。


最終的に本人はそれを自覚し、自らを「半端者の馬鹿野郎」と卑下して卯月から「お前がそんなことを言うようになるとは」と感心されていた。


当初は我が強く己を過大に見て周囲を顧みなかったが、九太との交流を経て自分は誰かの援けなしでは何も成せないことを悟り、それでも尚窮地にある者を救い出そうとする利他の精神を得たと言える。


来歴

幼き頃から親のいない天涯孤独の身であり、宗師以外は誰からも相手にされておらず、時には「言うことを聞かない面倒な奴」と周囲から嫌がらせを受けたこともあった。


そんなある日、現宗師がその座を辞し神への転生を宣言しその次期候補に立候補するも、その粗暴といい加減な性格と態度から住民達からは全く支持されていなかった。


しかしある日の夜、多々良と共に人間の街・渋谷を散策した際、高架下で一人のみすぼらしい人間の子供を目にすると彼に弟子入りを持ち掛ける。


結局はその場を後にするも、渋天街へ帰った際に広場で自分たちを追ってきたその子供と再会し、彼を自宅に招き入れたのち名前を尋ねるも個人情報の保護を理由に明かさなかったことから、年齢に因んでその少年を「九太」と名付ける(本名は「」)。


翌日の朝、九太を朝食に誘うも彼が嫌いな生卵を食べるよう強要したことから言い争いとなり、追いかけっこになったのち九太がその場から逃走。それを追う形で広場に寄ると猪王山に遭遇し、彼と人間の九太を弟子に取るか否かで対決になる。開始早々果敢に攻め入ったものの、相手を見くびっていたことから反撃を許しその後も次々と攻撃を食らってしまう。


それでも退くことはなく攻撃を止めることはなかったが、結局敗北を喫する。しかしその直後、宗師がその場に現れ九太を弟子に迎え入れることを許可し、帰宅後には九太から「もしあんたといて強くなれるなら、俺あんたの弟子になってやってもいいぜ」と言われた後、懸命に卵かけご飯を食べる様子を見て感銘し、本格的に彼を自らの弟子として育てることを決意する。


しかしそれまで師事や指導の経験がなかったことから、技の説明は非常に大雑把かつ漠然であり、稽古初日は思い通りにならない苛立ちから九太に「勘が悪い」と言い捨て踏ん反り返りそのまま指導を放り投げて帰ってしまう。さらにその後、九太から自身と猪王山との品格に対する雲泥の差を聞かされ落胆してしまう。


だが九太が渋天街以外の各地の宗師を訪ねる旅によって強さの意味を見出したのに加え、日常的に熊徹の動作を観察し真似し続けたことによって足さばき程度なら自身を遇らうことができる程度の身のこなしが身に付いたのを機に本格的な修行が始まることになる。その結果、二人で協力し合いながら武芸の腕を磨いていき共に精神的な成長を遂げることになる。


そしていつしか二人の存在は渋天街で評判になり、熊徹はついに渋天街の住民達から次期宗師候補者と認められそれまでの偏見は消え失せ、彼の元に多数の弟子入り希望者が押し寄せるようになった。


8年が経ち、次期宗師候補者として順風満帆な日々を送り九太とも些細なことでいがみ合ってはいたものの師弟として、果ては親子として良好な関係と絆を築いていた。


しかし九太は青年に成長し自尊心と好奇心が身に付いた影響から次第に自らの管理下を離れて自主稽古などの自主行動をするようになり、心配性から未だに彼を一人前と認められないことからそれに苛立ちを募らせていた。


そんなある日、九太の寝床から人間界の数学の教科書を発見したことで彼が人間界に関心を抱いていることを知り、その日の夜に帰宅した九太をそれに関して問い詰めた結果、自分を一人前と認めないと悟った彼と不和が生じてしまい、一方的に別れを告げられ不本意のまま九太と決別してしまう。


そして傷心のまま次期宗師を正式に決定するための闘技試合を迎えることになってしまい、動揺と自暴自棄から試合開始早々から自分のスタミナを省みない無理な攻撃を猪王山に敢行。当初は善戦するも、隙を突かれ反撃に転じられ猪王山の猛攻を立て続けに受けた挙句ついに戦意喪失しその場に倒れ込んでしまう。


軍配が猪王山に上がろうとしたその時、突如会場に迷いを振り切った九太が現れ、彼から喝破される形で背中を押されると果敢に立ち上がり再び猪王山に攻め入る。そして九太に指示を受けながら猪王山と激しい熱戦を繰り広げ、ついに隙を突いてカウンターの右ストレートを渾身の力で彼の顔面に叩き込む。そのまま猪王山はダウンし10カウントを過ぎてなおも立ち上がらなかったことから勝負は熊徹の勝利に終わり、次期宗師に熊徹が就任することが決定したのであった


試合終了後、すぐさま九太の元に歩み寄り、いつものように憎まれ口を叩き合いながらも彼とハイタッチを交わす。


しかしその時、試合の結果を不服に思った猪王山の長男・一郎彦によって鞘の抜かれた猪王山の剣を背後から突き刺され、一命は取り留めたものの瀕死の深傷を負い昏倒してしまう。


その後、宗師庵で介抱を受けた後目を覚ますと、多々良と百秋坊の口から一郎彦が九太と同じく人間であること、そして九太が強大な”闇”の力を用いて暴走した一郎彦を止めるために彼と闘っていることを聞かされると、すぐさま自らの状態を省みず宗師の元へ直行し、自分が現宗師であることを利用して九太を救うために自らを神に転生させるよう彼に頼み込む。


そして燃え滾る大太刀の姿をした付喪神に転生すると、人間界で一郎彦と闘う九太の前に現れ彼と一体化する。九太はそれに涙するも、彼の胸の中からそれを喝破し九太を元気付け、彼と共に剣を構えて一郎彦に斬りかかるタイミングを待つ。そしてタイミングを見極めると、果敢に一郎彦に攻め入り彼の胸にある”闇”を切り裂く。そのまま”闇”は消滅し、一郎彦は気を失ってその場に倒れ込んだ。


翌日の早朝、一郎彦との決着の舞台となった代々木体育館の一角で九太と何気なく語り合った後、自分のやることを胸の中から見守るよう九太に伝えられると、「おう、見せてもらおうじゃねえか」と笑いながら答えるのであった。


その後九太は渋天街の住民達から「バケモノ界を救った英雄」として盛大に祝われたのち、街を去って人間界で実父と共に暮らし始めた。そして宣言通り、人間界で暮らす九太をいつまでも彼の胸の中から見守り続けるのであった。


備考


モチーフ動物について

彼のモチーフ動物である熊は、古今東西山間部に生息するメジャーな動物の一種であり、中には山の神と信仰する考えもある。


繁殖の習性としては、雄は雌との交尾を終えると直様別の相手を求めてそれまでの雌とは関係を断つことから、雄は原則として子育てを行うことはない


これを踏まえると、雄熊である熊徹が九太と一時仲違いしてしまったのはある種必然ではあると言えるのかも知れない。


因みにこれは猪王山のモチーフ動物であるも同様だったりする。


名前の意味

「徹」の字は「貫き通す」という意味であり、正に「熊徹」は如何なる時も己を在り方を貫き通した彼を冠するのに相応しい名であると言えよう。


付喪神に転生した理由についての考察

数多ある八百万の神の中で、彼は付喪神という決して崇高とは言えないばかりか、そもそも神としてすら扱われるかも怪しい存在への転生を選択している。第一発祥の由来が付喪神の記事に記述されているように、人間に棄てられた器物の怨念が具現化し人々に災いを為そうとしたという『付喪神絵巻』の記述から来ているとされている。またこの伝承の成立背景として、当時の日本には古くなった物品を煤払いの日に廃棄する習慣があったことから、これに因んで「九十九神」とも表記されている。


この「九十九」という言葉は「永い年月」を指す場合にも使われることから、これに基づくと熊徹と九太の信頼関係を表す語でもあるという解釈が出来る。更に「九十九」という至らぬ自身を、九太という「一」で補うことで、二人併せて「百」とするという捉え方も考えられることから、正に付喪神は二人の関係性を象徴する神であると言えよう


尚、上記の『付喪神絵巻』に登場する付喪神たちは神仏の存在にあたる「護法童子」と「尊勝陀羅尼」に成敗され改心し、この出来事を踏まえ仏教帰依し遂には二人と同じ神仏となって成仏し正真正銘の「神」となった。これは熊徹のストーリーに於ける軌跡と合致している他、怨念から闇に堕ち災いを働くも、「心の剣」という熊徹と九太の信頼関係で織り成した至高の力でそれを取り除かれ解放された一郎彦にも共通していると言えよう。また後者の一郎彦との関連性に基づけば、護法童子は九太、尊勝陀羅尼は熊徹に其々該当すると言える。


因みに「九太」の「九」の字は「九十九神」から由来している節もあることから、本人の俗世に囚われない浮世離れした性分もあり、熊徹は元から自身が転生する神を付喪神に決めていたのかも知れない。


次期宗師決定戦の勝敗に関する疑問

ストーリー上では有耶無耶にされているが、次期宗師決定戦の試合結果は客観的に伺うとかなり不可解である。


熊徹は一度ダウンしているにも関わらず、そこへ九太が彼を叱咤激励するために乱入した際、カウントを数えていた審判長は不測の事態に動揺したのか途中でそれを止めてしまった挙句、熊徹が再起すると何事もなかったかのように強引に試合が再開される。そしてその後猪王山がダウンした際には通常通りカウントを数えられて彼が敗北するという、あまりに熊徹が優遇され、猪王山が不遇に見える勝敗となった。無論鑑賞者からはツッコミの嵐である。


一応試合のルールの一つに「十拍の間失神した場合敗北」とあり、実際その時の熊徹のダウンは戦意喪失で失神ではなく、一方の猪王山のダウンは完全に失神であるため、そのルールに照らし合わせればそもそも熊徹のダウンは無効となる筈である。しかし実際はしっかりカウントが数えられているため、結局不可解さの解消には至らない。


とは言っても、これはバケモノ界の観点からしてみれば一切不可解ではない可能性がある。事実試合終了後は敗者である猪王山やその従者含め、誰一人として訝しく思った者は居なかった


尚、この不可解な試合結果が一郎彦の凶行を駆り立てたのではないかという指摘もあるが、もしこれが要因であったとしても、本来であれば彼は卯月や審判長といった権限ある者に抗議をしてジャッジのやり直しを求めるべきであった。というか、本当に猪王山の勝利を信じているのであれば尚更である。然も不可解な熊徹の勝利を根拠に取り上げていれば、勝敗を覆らせることは十分可能であった。にも関わらず、当人は激情に駆られるままに熊徹に重傷を負わせ猪王山の勝機を完全に潰しただけでなく、彼の名誉すらも大いに泥を塗った有様であった。


このことから、そうした未だ猪王山を勝利させることの出来る事象がありながら、極めて短絡的な行動に出てそれを失くしてしまった一郎彦の愚かさを表すことに繋げるための場面であるという捉え方も出来ると言える。


関連イラスト

いつも


関連タグ

バケモノの子 バケモノ 渋天街 宗師

九太 猪王山 多々良(バケモノの子) 百秋坊 卯月

熊九


付喪神 心の剣


類似性のあるキャラクター及び実在の人物

陣内万助過去作少年に武術を教えた師匠繋がり。


花(おおかみこどもの雨と雪)前作にて異種族の子供を育てた親繋がり。



とら(うしおととら)人間の少年と信頼関係を築いたバケモノ繋がり。


野原ひろし…子供のためには我が身を挺することも辞さない父親繋がり。劇場版ではこれが特に顕著で、また彼の分身にあたる存在は最期が熊徹と共通している。


T-800人外のバケモノだが人間の少年と信頼関係を築いて強大なを倒したキャラクター繋がり。


トニー・スターク…元は傲慢だが、あらゆる苦悩と挫折、仲間との交流を経て人格者へと改まっていた実力者繋がり。親無しの境遇や、シリーズ最終作では父親となり、最期は強大な敵から世界と愛する我が子を護るの為に我が身を挺したことも共通していると言える。



うずまきナルト…親無しで、且つ住んでいる集落を目指しながら、人柄、実力等の理由から当初は周囲から無理だと蔑まれていたにも関わらず、直向きに努力したことと、仲間たちの交流によってそれを成し遂げた武者繋がり。物語最終盤では父親となり、その子供たちとの向き合い方に苦悩する点も共通。


爆豪勝己…乱暴者の秀才だが、目指すべき目標のために直向きに努力し成長していくキャラクター繋がり。



継国縁壱…太陽を思わせる剣士繋がり。



三船敏郎…熊徹のキャラクター造形モデル。剣豪の役が多く、某ハリウッド映画作品では主要キャラクター二名のオファーを受けていたなど、その剣術は世界的に評価されている。


織田信長…破天荒だが、そのリベラルな思想で世に名を残した共通点がある歴史上の武人。

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