原曲は二輪の桜という曲で、二輪の桜のメロディを基に帖佐裕海軍大尉が海軍兵学校在学中に江田島の「金本クラブ」というクラブにあったレコードを基に替え歌にしたとか、同じく潜水艦乗員であった槇(旧姓岡村)幸兵曹長とも言われている。要するに原曲の二輪の桜の作詞者は分かっているが、同期の桜の作詞者は不明ということである。
なお、二輪の桜の歌詞には若干刺激の強い部分があるので安易に口ずさむのは避けたほうが良い。
歌詞について
歌詞は歌い手によって変化し、5番の「花の都の靖国神社花の梢で咲いて会おう」の部分は「花の都の靖国神社同じ梢で咲いて会おう」となったり「春の梢に咲いて会おう」となったり、そもそも歌われなかったりする。
同期の桜を歌った人たち
執筆者が把握しているのは
の3人である。鶴田浩二版は曲を伴奏にして、特攻隊員の心情を日記形式にして読み上げる詩を自ら作詩し、レコードに収録した。これは当時所属していたレコード会社間の著作権の関係で、西條八十が手がけた詩を歌うことが出来なかったことによる苦肉の策であった。
なお、著作権問題が解決した後、朗読と歌の双方をレコーディングを披露している。