史実の尼子経久
1458年から1541年の間に出雲(島根)にて活躍した戦国武将で、浪人の身から山陰山陽地帯11カ国を支配するまでに成り上がった「下克上」の先駆者とも言える人物。
元は出雲守護代だったが、領国横領等を主君である京極家から責められて追放されて浪人となったが、後にそこから逆襲して下剋上の礎としている。
文武両道に優れ、謀略に優れながらも「天性無欲正直の人」と呼ばれ、家臣が自分の私物を褒めると何でも与えてしまう癖があった。これには、「威厳が…」ということで家中も困っていたらしく、家臣はうっかり物を褒めないようにしたという。逸話として、ある日家臣が「これはいくらなんでも」と思い、庭に生えていた松を褒めたところ、経久はその松を家臣に抜かせて渡そうとしたことがある(その時は家臣に止められた)。