概要
戦国時代の大名・織田信長が現在の滋賀県蒲生郡安土町安土山に築城した平山城。
信長の居城であり、日本最初の天守造りの城としても伝えられる。
天正4年(1576年)に築城を開始し、天正7年(1579年)に完成。
外観は五重造り、内部は七階造り(地下1階地上6階)となっていて、絢爛豪華な装飾が施されていた。
城内は居住や政治の場として充実し、その他に寺院や天皇を迎えるための御殿も設けられたとされる。
その一方で、軍事面での防御が乏しく、敵の侵入防止のための当時の設計がほとんどなかったなど、良くも悪くも前例のない構造の城であった。
近年の発掘研究より、これまで有力視された吹き抜け構造は存在せず、一般人たちを見下ろすバルコニーのようなものが存在したとされる。
焼失とその謎
築城からわずか3年後の天正10年(1582年)に起こった本能寺の変直後に火事により焼失。
出火原因は明確にされておらず、様々な仮説が存在する。
容疑者① 明智秀満
信長没後に安土城を守備していた光秀の甥・明智秀満が、山崎の戦いに出陣する際に火を放ったのではないかとされている。
しかし、秀満は出火当時はすでに坂本城に入城しており、また秀満自身も美術品に精通した人物であり自刃の際に光秀の遺品を目録付きで敵方に引き渡してから果てたことから、にわかに信じられないと言われている。
容疑者② 織田信雄
父・信長と兄・信忠が本能寺で果て、織田家当主となった人物。
明智軍の残党を炙り出すために城下を放火した際、天守まで火が周ってしまったという説。
ルイス・フロイスをはじめとする宣教師たちが「信雄が暗愚だから火を付けた」と伝えている。
容疑者③ 野盗
前述のとおり芸術的で豪奢な造りで、なおかつ城主がいなくなり、野盗や土民の格好の餌食となり、彼らの乱入により出火したとされる説。
容疑者④ 落雷
落雷により焼失した説。現に安土城は完成から一年も経たぬ頃に、落雷で本丸が燃焼したことがある。