概要
元読売ジャイアンツ一塁手。福岡ソフトバンクホークス初代監督。第1回WBC日本代表監督。東京都出身で台湾籍。早稲田実業から1959年にジャイアンツに入団し、長年にかけて数々の記録を打ちたて、長嶋茂雄と共に国民的人気を得ていた。
1977年にハンク・アーロンを抜く世界新記録の756号本塁打を打ち、初の国民栄誉賞が授与された。通算本塁打868本はいまだに破られていない。
選手として
本塁打記録の印象から、スラッガーとしての印象が強いのだが、選球眼の良いアベレージヒッターとしても超一流であった。本人曰く、「ホームランに必要なのはパワーではなく、タイミングと体重移動」との事。
とりわけ選球眼の良さは、きわどい球でも選球眼の良い王が見逃したのだから、ボールだろうと思わず審判が考え、コールしてしまうため、「王ゾーン」と呼ばれていたほどであった。
また、その大多数がライトへの引っ張りのホームランだったため現在における守備シフトの原型ともいえる「王シフト」と呼ばれる対策を他球団が編み出した事でも知られる。ただし、王がその頭上を越える本塁打を打つことが多かった為、シフト自体の効果はあまりなかった(もっとも、考案した側も逆方向を狙わせてバッティングを狂わせるという精神的な揺さぶりの方が狙いだったらしい)。
人物像
これだけの偉大な成績を残しながら、決して驕る事のない真摯で誠実な人柄として広く知られる。
自身の夫人の葬儀に参加してくれた方々には、王自身が全員に電話で感謝の意を伝えており、また贈られてきたファンレターや年賀状には全部返事を送るなど、とにかく律儀で真面目である。キャンプに持ち込んだ便せんやハガキは数万通と言われている。
だが若かりし頃、寮生活をしていた時期は門限破りの常習犯で、寮生活をしていた選手の中でトップ3に入るほど規律違反が酷かったとか。ところがその3人全員(他の2人は柴田勲と堀内恒夫)が名球界入りを果たしているのだから世の中わからないモノである。
この他大食漢兼大酒豪としても知られ、大食に関する伝説は数知れず、飲み比べをして勝てなかったのは、横綱の大鵬だけだったという。胃癌を患い胃の全摘出手術を受けたのをきっかけに食事量は相当減ったが、当の本人は、「痩せられたからOK」と笑い話にしている。