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ロリータ(小説)の編集履歴

2014-07-09 20:06:12 バージョン

ロリータ(小説)

ろりいた

アメリカの作家ウラジーミル・ナボコフが書いた小説。日本では少女性愛を意味する俗称「ロリータ・コンプレックス」の語源となった作品として知られている。

曖昧さ回避

紳士がこよなく愛している方なら→ロリータ

ファッションスタイルの方なら→ロリータファッション


あらすじ

大学教授をしているハンバート・ハンバートは、少年時代に死別した初恋の相手アナベル・リーのことを未だに忘れられずにおり、一度は一般的な女性と結婚したものの上手くいかなかった。

そんな彼が、かつてのアナベルの面影に似た12歳の少女ドロレス・ヘイズ(愛称:ロリータ。作中では「ロー」と呼ばれている)と出会う。

一目見て恋をしたハンバートは、彼女に近づきたいという下心から彼女の母親であるシャーロット・ヘイズと結婚。シャーロットが事故によって死亡すると、ロリータを連れ出し、彼女との度重なる肉体関係が発覚しないようにしながら、一年にわたってアメリカ中をくまなく旅行する。しかし、ハンバートの理想の恋人となることを拒んだロリータが、行方をくらましてしまう。

三年かけて探しまわっていると、ロリータから他の男性と結婚したという報告と経済的な助けを求める手紙が届く。ハンバートはロリータと再開すると、もう一度、一緒に過ごそうと求めるが断られ、それでも全財産を彼女に渡す。それと同時に、クィルティという男が、三年前にハンバートの元からロリータを連れ去り、彼女を卑猥な映画に出演させたあげく捨てたという事実をロリータから知らされる。

そして、ハンバートはクィルティを口論の末に銃殺。結果、ハンバートは逮捕され、獄中で病死。ロリータも出産の末に死亡した。


評価

少年時代の苦い思い出から9歳から14歳までの少女を「ニンフェット」と呼び、屈折した欲望の対象にしている主人公。その彼の手記という形をとって書かれ、作中、彼の妄想での、あるいは実際にロリータと関係を結んだ場面の性描写から、いくつもの出版社に持ち込んでも出版を断られ、結局、フランスの有名な(悪名高い)ポルノ出版社であるオリンピア・プレスから1955年に初版が出版された。

「出版を断られ~」と書いたが、作品が持ち込まれたアメリカの出版社のいくつかでは、編集者は作者の意図しているテーマを作品から読み取ったものの、読者にはポルノとしか受け取られないだろうという判断が理由で、出版を拒否したというケースもあったという。

作者のウラジーミル・ナボコフは、ロシア語訳版「不思議の国のアリス」を出すほど、言葉遊びに定評がある作家で、「ロリータ」でもその遊び心は散りばめられている。

例えば、冒頭の「Lolita, light of my life, fire in my loins.」はLとFの音を重ねた文章だし、母親シャーロットが「Lo!」と言って怒るとロリータが「And behold」と返す場面あるが、このやりとりも「Lo and behold(これは驚いた)」という慣用句を二つの台詞に分けたものである。

しかし、それも英文だからこその魅力であり、先に書いたスキャンダラスな性描写と後味の悪い結末、それにナボコフ特有の突飛な比喩なども相俟って、日本語訳ではその言葉遊びの面白さ伝わらなくなっている。


エドガー・アラン・ポーとの関係

よく知られているのは、「ロリータ」が出版されるよりもはるか100年前の時代を生きたエドガー・アラン・ポーとの関係である。

主人公ハンバートが、自分の分身とも呼べるクィルティ(やはりロリータを自分の思うようにしようとした)を殺害し、それが自身の破滅を決定的にする筋書きは、ポーの小説「ウィリアム・ウィルスン」のパロディだとする指摘がある。

そうでなくとも、ハンバートの初恋の相手の名前が「アナベル・リー」と、ポーの遺作となった詩のタイトルであり(ただし、綴りは違う)、「ロリータ」が当初「海辺の王国(The Kingdom by The Sea)」という仮題で書かれ始めているのも、ポーの同作品の世界が「kingdom by the sea」であり、「IT was many and many a year ago, In a kingdom by the sea(昔々のお話です 海のほとりの王国に……)」から始まることによる。


ここでポーについて、補足説明すると……


エドガー・アラン・ポーも27歳の時、当時まだ13歳だった従兄妹のヴァージニア・クレムと、周囲の反対を押し切って結婚した。

ポーとヴァージニアは夫婦というよりも仲のいい兄妹といった関係で、結婚する一年前に「My love, my own sweetest Sissy, my darling little wifey,(僕の愛しい人、僕の優しい妹、僕の可愛小さな奥さん)」と綴った手紙からも、彼がいかにヴァージニアを思っていたかが伺える。

しかしその後、ヴァージニアが肺結核に体を蝕まれ末に24歳の若さでこの世を去ると、その二年後、今度はポーがメリーランド州議会選挙における投票所となっていた「グース・サージャンツ酒場」で異常な泥酔状態でいるところを知人に発見され、病院に担ぎ込まれるも4日間も続いた危篤状態の後に1849年10月7日午前5時に息を引き取った。

遺作「アナベル・リー」が地元新聞「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」紙に発表されたのはその2日後のことで、これはポーが妻ヴァージニアへの痛ましいまでの思いを綴った作品だとされている。(ただ、この頃、ポーは青年時代に交際していたサラ・エルマイラ・ロイスターという女性と再開して婚約。死亡したのは一ヶ月後に結婚式を控えていた時のことだった)

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