概要
1960年の初当選以降、衆議院議員として閣僚などを歴任した後、消費税導入とリクルート事件による支持率急降下で辞職した竹下登の後任として、1989年(平成元年)6月に自民党総裁及び総理大臣となった。
総理・総裁に就任すると、宇野は先代総理のリクルート事件絡みの負のイメージを払拭するため、閣僚からリクルート事件関係者を排除するなどクリーンな内閣をアピールしたが、就任してわずか3日目に自身の女性スキャンダルが発覚してしまった(この事が関連して、現在でも「指三本」という言葉とともに宇野は記憶されている)。結果、直後の参議院議員選挙では大敗北し、就任からわずか約2ヶ月で退陣に追い込まれた。この在任記録は歴代でもワースト4位である。