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ゴシックの編集履歴

2014-11-03 12:40:19 バージョン

ゴシック

ごしっく

ゴシック(Gothic)は、12世紀周辺の建築様式を示す用語、及びそこから派生した言葉である。ここでは主に後者を指す。後者は近代から生まれた廃墟趣味から誕生した。

曖昧さ回避

桜庭一樹のライトノベル→GOSICK

乙一の小説→GOTH

書体フォント)→ゴシック体



語ル二堕チル

最初に断っておくが、この頁はサブカルチャーとしての「ゴシック」を説明するものの、途中まで読んでいくと、


なるほど、わからん


となるように編集されている。

というのも、誰もが皆、それを「ゴシック」と呼んで異を唱えることがないのは、12世紀~15世紀の間に建てられた一連のゴシック建築と、18世紀にイギリスのホレス・ウォルポールが祖となって興ったゴシックロマンスと建築界におけるゴシックリヴァイバル運動………このくらいなもので、それ以降は各々が独自の感性に従って「ゴシック」と呼べるものを創作したり、それを誰かが見つけ出したりを繰り返してきた。

そのために、誰かにとっては「ゴシック」と呼べても、他の誰かはそれに首を傾げるという曖昧さが常につきまとい、定義づけをしようとすればするほど、矛盾が生じたり、ゲシュタルト崩壊に似たことになる。

こうして「ゴシック」という単語を連発せざるを得なくなっているのもそのためである。

参考文献などでは、仮の定義づけで枠組みをつくり、その枠の中に入ったものを題材に論じてゆく方法を採っているが、Pixivにおいては「ゴシック」という言葉からユーザーが一人一人、自由に想像を膨らませて創作・投稿をしているので、この頁では枠をつくらず、今日まで「ゴシック」と呼ばれるようになった文化とPixivの中で「ゴシック」が名をついた創作活動を列挙して、この頁を読んだ人それぞれが、それぞれの感性に合った情報を拾えるように、また他者の感性による「ゴシック」に触れる良い機会になるようにしておく。

概要で改めて説明するが、かつてホレス・ウォルポールがそうしたように、とにかく周囲から「ゴシックっぽい」素材を掻き集め、ひとつひとつ吟味して、自分の趣旨に副(そ)うものを選び出し、自分にとっての「ゴシック」を独自に創り出す。

完全に混沌としている「ゴシック」という言葉の中でできることと言えば、最初から最後までそれしかない。


おわかりいただけただろうか



概要

手垢にまみれた説明から始めると、もともとは12世紀半ばから15世紀頃までに建てられた、北ヨーロッパの教会などにみられる建築様式で、構造としては尖頭アーチ、リブヴォールト、フライング・バットレスの三つが特徴。

代表的な建物としてはフランスにあるシャルトル大聖堂やノートルダム大聖堂などが挙げられ、ルネサンス時代になってから、イタリア知識人たちの目にはその外観が装飾過剰でいびつなものに映り、軽蔑の意味を込めて「ゴート人の (gotico)」と呼ばれるようになったのが言葉の由来である。


ただし、この頁で主に説明する「ゴシック」は、ゴシック建築からの影響もあるにはあるが、まったくの別物と初めから捉えていたほうが良い。

発端となったのは18世紀。当時、富裕層の若者たちの間では、学業終了のときにイギリスを飛び出してヨーロッパを旅する「グランドツアー」という慣わしがあり、そこでイタリアの風景画、特に廃墟画が流行した。それと同時に、もともとイギリスにはかつてヘンリー8世が行った修道院解散によって、廃墟となった修道院がいくつもあり、そうしたことから、廃墟に対して「美」や「崇高さ」などを求める発想が生まれる。

そんな経緯があった上で、墓場を背景として死すべき運命を詩にする、墓場派と呼ばれる詩人たちも登場し、その中の一人であるトマス・グレイは代表作「田舎の墓地で詠んだ挽歌」を1751年に発表。

また、後に財務大臣となるフランシス・ダッシュウッドは、修道院だった廃墟を友人から譲り受けて改装すると、黒ミサを模した乱痴気騒ぎを行うための秘密クラブ「地獄の火クラブ」を1753年から主宰した。

ホレス・ウォルポールがストロベリー・ヒルにある別荘をゴシック建築風に改築し始めたのも丁度その頃(正確には1747年)で、これが評判となって建築業界ではゴシック・リヴァイバル運動に火がつき、また、彼の書いた小説「オトラント城奇譚」がゴシック小説の原点となって、ゴシック趣味という嗜好が確立する。

だが、これは「ゴシックっぽい」雰囲気さえあればそれでよしとするもので、先に触れたゴシック・リヴァイバル運動によって建てられた建築も、外観はゴシック建築を装うも建築構造自体は他の様式であったり、ガーゴイルやグリーンマンなどといった、中世ヨーロッパの精神や宇宙観を象徴的に示す石のフォークロアが省かれていたりと、大雑把な点が多くみられる(注1:もっとも、建築構造だけに絞って話せば、ゴシック様式の尖頭アーチやフライング・バットレスは、現代の建築技術を以ってしても再現不可能な失われた技術であり、それを18世紀後半の人々にやれというのは無茶苦茶ではある)。

評論家で作家の紀田順一郎は、その様子を、


「彼は二人の建築家とともに委員会(コミッティー)をつくり、主として英国の末期ゴシック様式についての文献をあさり、天井はヘンリー七世の礼拝堂にあるもの、墓はコーンウォール伯爵のもの、煙突はカンタベリー聖堂のものというように、あちらこちらから気にいったものを引っぱり出し、しかも日常生活に不自由がないように当代の様式をとりいれるという、折衷方式(というよりゴッタ煮の様式)をつくりあげた。彼の意図によればこうすることによって『陰うつではなやかな、目新しくロマンチックで、しかも居心地のよい』〝ゴシック空間〟が得られるというのであった」(紀田順一郎著「幻想と怪奇の時代」松籟社 2007年より抜粋)


と書いている。

その先人たちの悪い癖を引き継いでいるのか、今現在でも「ゴシック調」とか「ゴシック的な」とか「ゴシック風の」などといった形容詞はよく目にするが、それが何をもって「ゴシック調」であり「ゴシック的」であり「ゴシック風」なのか、はっきりとした定義がない。

高原英理は著書『ゴシックハート』の中で、ゴシックを「好悪の精神」と言い表し、その概念に内包されている要素を次のように列挙して、これらの要素のいくつかを含んでいなければ、それをゴシックとされないとしている。


「色ならば黒。時間なら夜か夕暮れ。場所は文字通りゴシック建築の中か、それに準ずるような荒涼感と薄暗さをもつ廃墟や古い建築物のあるところ。現代より過去。古めかしい装い。温かみより冷たさ。怪物・異形・異端・悪・苦痛・死の表現。損なわれたものや損なわれた身体。身体の改変・変容。物語として描かれる場合には暴力と惨劇。怪奇と恐怖。猟奇的なもの。頽廃的なもの。あるいは一転して無垢なものへの憧憬。その表現としての人形。少女趣味。様式美の尊重。両性具有・天使・悪魔など、西洋由来の神秘的イメージ。驚異。崇高さへの傾倒。終末観。装飾的・儀式的・呪術的なしぐさや振る舞い。夢と幻想への耽溺。別世界への夢想。アンチキリスト。アンチ・ヒューマン。」


ただし、これもまた上記で挙げられた要素のいくつかを含んでいたなら、ゴシックをテーマにしていない作品までそうだと断定し、「私がゴシックだと感じたらゴシックで、私が違うと言ったらゴシックではない」という乱暴な主張がまかり通ってしまう問題がある。(注2:もともと、「ゴシックハート」と、これに続いて執筆された「ゴシックスピリッツ」は、対象が『ゴシック』という言葉の枠の外にある創作物であっても、筆者のゴスの感性に適うものであれば紹介し、それがゴシック的にどう見えるのかを論じることが目的で書かれた本であり、その趣旨自体が間違いだというのではない)

例えば、有名なシンフォニックメタルバンド「ナイトウィッシュ」も、ゴシックメタルと呼ばれているが、リーダーのツォーマス・ホロパイネンは自分たちがゴシックメタルであることをはっきりと否定している。

春風社から出版された「クリス・ボルティック選 ゴシック短編小説集(原題:The Oxford Book of Gothic Tales)」の序論では次のように指摘している。


「『ゴシック』という用語は、西洋近代の創造力における、不吉な一隅に対する名称として確立されてきた。けれどもその用語は、指示対象を正確に合意しているというよりも、直感的な思いつきによって機能しているように見える。言葉そのものの用法に関わる、困難な点もいくつかある。なかでも、こんにち最も明白であるのは、文学における意味合いと建築におけるそれとの不一致である。建築の文脈では、『ゴシック』は、12世紀後半から15世紀にかけて花開いたヨーロッパの建築と装飾の様式を指すのであるが、文学や映画を論じる際には、まったく異なった媒体に数百年後に現れた作品を指すのである。このように、大きく時代が異なった二つの産物に対して同時に適用された用語は、何らかのの修飾語をくっつけてくれと要求しているように思える。実際、建築史家たちが、中世後期のゴシックを、19世紀のネオ=ゴシックやゴシック復興様式と区別したのは、賢明である。より論理的な世界においてなら、現代の文学や映画の『ゴシック』に対して、この種のより明確な命名を適用することを、我々は学んでいたのかもしれない。とはいえ、我々が受け継いできた混乱を御破算にするには、もちろんあまりに遅すぎる。たとえそれが可能であるとしても、『ネオ=ゴシック・フィクション』であるとか、不十分な命名を行って、より困難な状況に陥るだけであろう」


先の説明と重複するが、先人たちのゴシック・リヴァイバル運動やゴシック・ロマンス執筆における悪い癖=元のゴシック建築やその他の正しい形式などはまったく無視して、重厚さや崇高さ、どこか寂しさが漂うような雰囲気など、自分たちの好みに合った部分だけを都合よく取り上げて模倣、アレンジする。という行為は、その後の文学、映画、音楽、ファッションなど、あらゆる分野においても受け継がれ、自らの嗜好に副(そ)うものであれば何でも貪欲に取り入れて、それを「ゴシック」と呼んでしまう反面、結果、「ゴシック」という言葉の定義をより一層困難にし、異なるジャンルと「ゴシック」とが混同して捉えられてしまう原因を、自らが作り、増やすという宿命を背負うこととなった。

近年ではゴシックメタルがシンフォニックメタルと、ゴシックロリィタがコスプレやメイド服と同一視されてしまい、愛好家が苦々しい思いをしている話をネット上でよく見かけるようにもなっている。

他方で、ゴシックロマンス、ゴシックロックのように、一時代に隆盛を極めるも、その後、人を惹きつけていた要素、部分だけが別のジャンルへと抽出、昇華していき、元となった「ゴシック」は用済みとなって衰退。再評価される時を待つケースというのも少なからずある。


また、面白い傾向として、過去に「ゴシック」が流行る時期というのは、必ず技術革新や文明の急速な発展と共に、それらに対する不安や不満を胸に秘めた時代で、18世紀にゴシック趣味が誕生した際には産業革命と合理化の推奨があり、後述のゴシック小説で説明するスーパーナチュラル小説などが流行った19世紀末から20世紀初頭にかけては、自動車や電話、ラジオなどが実用化されて一気に普及した頃だった。

1990年代~2000年代も携帯電話やインターネットといった通信技術の変貌と、国際社会のグローバル化などがあり、それに呼び覚まされたかのようにゴシック文化が世界各地で盛り上がりを見せた。

文学においてはニューゴシックという新しいジャンルが確立され、ステファニー・メイヤーの「トライワイト」が2005年に出版されると世界的にヒットする。(日本では鈴木光司の「リング」シリーズや京極夏彦の「百鬼夜行」シリーズなど、日本独自のホラー・怪奇小説が席巻していた頃と重なり、でなくても「羊たちの沈黙」に代表されるサイコサスペンスものも全盛期だったので、海外のゴシック小説は本当に

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