来歴
F1デビューまで
2000年5月11日に神奈川県相模原市に生まれる。父がジムカーナ競技をしていた関係でカーレースに幼い頃から親しみ、5歳の頃に初めてレーシングカートに乗ったことでレーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせる。
2015年からはカートレーサーからフォーミュラドライバーとしてのステップアップを図り、16歳で鈴鹿サーキットレーシングスクールのフォーミュラコースに入学。下位カテゴリーのフォーミュラであるスーパーFJ、FIA-F4、JAF F4などで実績を積み重ねる。特にFIA-F4では最年少優勝記録(16歳と333日)を残している。
2018年、ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの育成ドライバーに選出され、引き続き参戦したFIA-F4でシリーズチャンピオンとなり、ヨーロッパへと活躍の場を移す。2018年はF3のテストに参加し、2019年はF3、2020年は前年の活躍が評価されF2へ昇格、そして翌年にはF2での活躍を評価されてF1のスクーデリア・アルファタウリへのドライバー昇格と、F3とF2に関しては各カテゴリーをわずか1年ずつ経験したのみでF1ドライバーに昇格している。
スクーデリア・アルファタウリ(2021年~2023年)
2021年、レッドブルのBチームであるアルファタウリのドライバーとしてのデビュー戦(開幕戦)バーレーンGPでは、フェルナンド・アロンソやセバスチャン・ベッテルといったチャンピオン経験者を次々にオーバーテイクしていくアグレッシブなレースを見せ、9位に入賞。日本人のデビュー戦での入賞は史上初となり、F1界のスーパールーキーとして期待される。
しかし、その次のエミリア・ロマーニャGPの予選でのクラッシュをきっかけに、開幕戦のような光る速さが見られなくなり(後にこのクラッシュをきっかけに自信を失ったとコメントしている)、成績も速くないが遅くもないという微妙な状況が続き(遅ければF1という世界最高峰のカテゴリーに苦戦しているという同情が集まりやすかった)、その過程で同じ反則行為をレース中に繰り返してしまう(ピットレーン入り口の白線を踏んでしまうなど)、無線で怒りの感情を発露させる(「うるさい!」や「今集中してるから黙っててくれ!」と英語で叫ぶなど)というような悪目立ちする部分が注目されてしまいがちになる。これについてはチーム代表のフランツ・トストが「彼は普通の日本人と違う面がある」「誰しも怒りを感じることはあるが、無線で叫ぶのは良くない。これではチームとの関係を壊してしまう」と窘めている。
もっともこうしたことは、若さゆえの経験不足、F1マシンと今までのカテゴリーとの差を埋めることへの苦戦、マシンも含めチームがエースドライバーのピエール・ガスリー寄りになっていた点も含めたF1ドライバーとしての重圧に苦しむなど、F1デビューした新人には必ず起きる悩みである。角田もそれに例外なく遭遇することになり、様々な壁を乗り越えることに苦慮することとなった。トスト代表は角田を窘めつつも、マスコミの角田批判に対して「今のF1は複雑すぎて1年やそこらで慣れるものではない。最低でも3年はかかる。私はユウキを信じているよ」と、彼に期待するコメントを寄せていた。
これらの問題を改善すべく、住居を当初住んでいたイギリスから、アルファタウリの本拠地であるイタリアのファエンツァに移し、フランツ・トスト直々の指導や、当時のリザーブドライバーだったアレクサンダー・アルボンのコーチングを受ける。本人は後に「イギリスに居た頃のオフタイムはゲームばかりしていたが、イタリアに移ってからは生活を改善し、アルボン選手のアドバイスもとても参考になった」と語っている。
それからは徐々に成績も改善され、特に2021年シーズンのアブダビグランプリでは、他のドライバーが予選でソフトタイヤを使いベストタイムを刻む中、ミディアムタイヤで予選5位となり、エースドライバーのピエール・ガスリーを上回って決勝4位と、ベストレースでシーズンを終えることが出来た。
2022年も引き続きアルファタウリに在籍したが、この年のアルファタウリのマシン「AT03」はマシン開発に失敗したと言わざるを得ず、他チームより10kg以上重い重量によるタイヤの摩耗の早さ、慢性的なダウンフォース不足や信頼性不足に悩まされ、入賞圏内に入るのもやっとという状態であった。また、本人に責任のない部分での不運(チーム戦略のミス、入賞圏内を走行中のマシントラブル、他ドライバーとのインシデント)により入賞を逃したレースも多い。そうした中でも予選においてもガスリーを上回り、クラッシュの回数も格段に少なくなるなど成長も見受けられた。しかしながらカッとなりやすい気質はまだ残っているようで、本人ならびにトスト代表もこの点を今後の課題としていた。
2023年もアルファタウリに残留。チームメイトはアルピーヌに移籍したガスリーに替わり、F2やフォーミュラEでチャンピオン経験がある年上のルーキー、ニック・デ・フリースとなった。第11戦からはそのデ・フリースが実力不足と判断され解雇されたことに伴い、レッドブルのリザーブドライバーであるベテランのダニエル・リカルドがアルファタウリに異動し、新たなチームメイトとなった…が、オランダGPでそのリカルドがフリー走行中のクラッシュにより手首を骨折。レッドブルの支援を受け、当時日本のスーパーフォーミュラで優勝争いをしていた、若手レーサーのリアム・ローソンが急遽招聘され、リカルド復帰までの暫定的なチームメイトとなった。
この年のマシン「AT04」は昨年よりさらに戦闘力が低く、全マシン中最低の出来とすら評されており、予選Q1突破すらも難しい事態になってしまった。そんな中でも、シリーズ前半でトラブルが起きないレースでは全てデ・フリースに勝利しており、10位入賞を2度果たして貴重な2ポイントを持ち帰った。また、リカルドがデ・フリースに代わり加入した後の2戦目であるベルギーにおいても、リカルドに勝利してポイントを獲得し、その後も性能が決して良いと言えないマシンでポイントを持ち帰り、シーズン最下位で終わるかと思われたアルファタウリのコンストラクターズランキングを8位まで押し上げた。これらの活躍についてトスト代表は「ユウキは2025年にはレッドブルに行く準備が整うだろう」と評価した。また、親チームであるレッドブルからも「アルファタウリはレッドブルグループのルーキーを育てる役割を担っており、ユウキはその良い成功例と言える」と高く評価されていることから、将来のレッドブル昇格を期待する声も高まっていた。
VISA Cash App RB(2024年~)
2024年も同チームに残留したが、チーム名はレッドブルグループの体制とメインスポンサーが変更になった都合で「VISA Cash App RB(ビザ・キャッシュアップ・アールビー。略称:VCARB『ブイカーブ』)」に改称された。恩師のトスト代表は2023年でレース業界から引退したため、フェラーリから移籍してきた新代表のローラン・メキース率いる新体制の元で活動することになった。チームメイトは昨年から引き続きリカルドであったが、第18戦シンガポールGPを最後に成績不振で解雇されたため、第19戦アメリカGPからは、2023年にピンチヒッターとして出走したリアム・ローソンに替わる。
開幕戦と第2戦は決勝14位・15位と振るわなかったものの、それ以降の第8戦モナコグランプリまでの段階で合計19ポイントを獲得、ドライバーズランキングのトップ10人に名を連ねた。特に第4戦の地元・日本GPでの10位入賞はホンダのお膝元である鈴鹿サーキットでの入賞で、日本人として小林可夢偉(2012年3位)以来となる12年ぶりの母国入賞となり、日本のファンを大いに沸かせた。ポイント獲得数もリカルドに大きく差をつけており、レッドブルのヘルムート・マルコ博士やレース関係のマスコミからも「ミスや感情の爆発が無くなってきており、一貫性があり素晴らしい」「フェルスタッペンやアロンソにも匹敵する走り」と高評価を得ており、レッドブル昇格に相応しいドライバーとして注目されていた。
しかし、レッドブルのセカンドドライバーであるセルジオ・ペレスが2026年まで残留することが決定したことで、ホンダとレッドブルグループがタッグを組む2025年までに昇格することは事実上不可能になった。その直後に2025年もVCARBに残留する契約を締結したものの、2026年はレッドブルがホンダとの提携を解消しフォードと手を組むため、2026年からホンダと提携するアストンマーティンへ移籍するのか…とも噂されていたが、アストンマーティンは2025年以降も現在のアロンソ・ストロールというドライバーラインナップを続行することを発表し、2024年の段階ではアストンマーティンへの移籍も事実上不可能になった。そのため、このままレッドブルに残るのか、あるいは全く別のチームへ移るのか、それとも何らかのウルトラCが発生してアストンマーティンに移ることが叶うのか…など、2026年以降の動向に注目が集まっている。
その他
・西暦2000年以降に生まれた初のF1ドライバーである。
・トレードマークはモミジの葉で、ヘルメットや公式グッズのデザインにも取り入れられている。
・元同僚のガスリーいわく、オフタイムでは「1日中変なことばかりしてるよ(笑)」と、かなりひょうきんな性格であると評価されている。ガスリーとの仲は「F1界で最も仲の良い2人」と評されるほどで、日本グランプリの前日には東京で一緒にカラオケを楽しむなど、随所随所で2人の友情の深さをうかがい知ることができる。
・尊敬するドライバーにフェルナンド・アロンソを挙げており、F1デビュー後に互いのヘルメットを交換している。
・デビュー当初は日本人らしからぬ怒声を発することが度々あり、それがメディアに切り取られて誇張されることが時折あった。特に、遅いマシンに引っかかった多数のマシンの渋滞に巻き込まれた際に「これじゃトラフィック・パラダイスだ!!」と叫んだ際は、一時的に流行語のように扱われた。本人は後に「恥ずかしいことだ」として自らを戒めており、現在では落ち着いたドライビングを見せるようになっている。
・プロサッカー選手の久保建英と母校が同じ(1学年違いで同じ高校に通っていた)。
・2023年から、Youtubeでの個人チャンネル「Yukitube(ユウキチューブ)」を開設し、レース以外でのプライベートシーンやオフショットを公開している。
・2023年5月、イタリアのエミリア・ロマーニャで予定されていたレースが豪雨災害で中止となった際、宿泊していたホテルとその周辺地域をボランティアで清掃し、多くの称賛を集めた。