概要
艦名はイタリアの政治家「カミッロ・ベンソ・コンテ・ディ・カヴール」から来ている。1915年に竣工され、第一次世界大戦と第二次世界大戦に参加した。
戦争後北アメリカへの宣伝航海をおこなった。その航海ではジブラルタル、ポンタ・デルガダ、ファイアル島、ハリファックス、ボストン、ニューポート、トプキンスビル、ニューヨーク、フィラデルフィア、アナポリス、ハンプトンローズに寄航した。1922年の夏、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がコンテ・ディ・カブールでイタリア領となったアドリア海沿岸の都市を訪れた。また、1925年4月にはベニート・ムッソリーニがトリポリを訪れるのにも使用された。
1928年5月12日、タラントで武装解除された。1933年10月、コンテ・ディ・カブールは改装工事のためトリエステへ移された。1940年6月10日にコンテ・ディ・カブールは海軍に復帰し、1940年6月10日のイタリアの第二次世界大戦参戦時にはタラントにあった。
1940年7月9日、コンテ・ディ・カブールはカラブリア沖海戦に参加した。1940年11月11日のタラント空襲でコンテ・ディ・カブールはイギリス軍機の雷撃により沈没した。1941年終わりに引き揚げられトリエステで修理が開始されたがコンテ・ディ・カブールが復帰することはなく、1943年9月10日にドイツに捕獲された。しかし、1945年2月15日のトリエステ爆撃で放棄された。1947年2月27日にスクラップとなった。