概要
最初の城主は大森氏
小田原城は、北条家(後北条氏)代々の名城と名高い城。
最初の城主は北条氏ではなく大森氏という豪族でありその一族の大森藤頼(おおもりふじより)が築城した。当初の小田原城は何とも極小規模な物だったようである。
その後、伊豆国を手中に収めた伊勢宗瑞(いせそうずい、北条早雲は彼の死語に広まった名前)は藤頼と誼を結んで油断を誘い小田原城を奪収し以後後北条氏の居城となった。
その城郭は代々の当主により拡大改修が行われ、最終的には総構えといわれる城下一帯を内包する城塞都市に発展した。城壁は総全長9kmに及んだという。
難攻不落の城塞として知られ武田晴信、上杉輝虎の両将を追い返した。
1590年(天正18年)の所謂小田原征伐では3ヶ月籠城して持ちこたえたが、物量戦の前にあえなく無血開城された。
今の小田原城
現在、小田原城は国指定史跡となり、市の整備で公園となりました。城内には動物園や遊園地が整備され、子供たちの憩いの場ともなりました。
ところで、今の小田原城は、実は北条氏時代の物ではなく、江戸時代に大規模に改修されたものなのです。北条氏時代の遺構は、現在の小田原高等学校がある場所で、少なからずですが遺構を見ることができるようです。