アイルトン・セナとはF1ドライバーである。
別名「音速の貴公子」
概要
本名、アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)。1960年ブラジル生まれで、4歳のころにカートの運転をはじめ、13歳でレースに参加、1983年にF3、翌年1984年にF1デビューを果たす。1985年初勝利、1988年には初のドライバーズチャンピオンになり、以降1990、91年と3度のチャンピオンとなる。
卓越したテクニックで天才と言われ、史上最高のドライバーと言われる事も多いが、反面天才ゆえに他のF1ドライバーとの確執が絶えず、特にアラン・プロストとは1989年は同じチームであり、2人で年間16戦中15勝するなど他を圧倒したが、鈴鹿でレース中に車が接触するなど険悪を極め、翌90年プロストが移籍しても、またしても鈴鹿でスタート直後に接触し両者リタイアとなっている。なお、現役時代からお互いその力量は認めあってたとされ、プロストの引退後は仲良く会話するシーンも見られる。
1994年5月1日14時27分、第3戦のサンマリノGPのレース中にコーナーに高速で直進しクラッシュ、そのまま帰らぬ人となった。享年34。その葬儀はブラジルにおいて国葬となった。
この年のサンマリノGPは前日の予選2日目においてもシムテック・フォードのローランド・ラッツェンバーガーがレース中に事故死、さらにその前日である予選1日目にはジョーダンのルーベンス・バリチェロも大クラッシュで重傷を負うなど重大事故が相次ぎ、事態を重く見た関係者は選手会組織であるGPDAの再組織、レギュレーションの大幅変更、イモラ・サーキットのレイアウト変更などの緊急安全対策を取っている。
日本において
彼が活躍した1990年代前半はホンダが参戦(セナは長い間ホンダがエンジンを供給するチームに在籍した)、日本人初のフル参戦ドライバー中嶋悟が登場したこともあり、空前のF1ブームになった為であり、セナはF1そのものの代名詞となった。
余談だが週刊少年ジャンプは90~92年まで彼の所属するマクラーレンのスポンサーになっており、彼を主人公とした漫画『Fの閃光』(原作:西村幸祐、作画:長沢克義&鬼窪浩久)が連載され、1991年シーズンの戦いが描かれた。全2巻。
そのためか、91年シーズンの鈴鹿サーキットのコースサイドには、いたるところに「週刊少年ジャンプ」の垂れ幕が設置されていた。
今後も彼の記録を凌駕するドライバーは現れても、その人気が衰えることは無いであろう。