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大波(駆逐艦)の編集履歴

2015-03-21 13:07:05 バージョン

大波(駆逐艦)

おおなみ

ここでは、大日本帝国海軍の駆逐艦んついて記述する。

概要

夕雲型駆逐艦の7番艦。

1939年度に、仮称第122号艦として藤永田造船所で建造され、1942年12月29日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。1943年1月20日に第二水雷戦隊に編入され第三十一駆逐隊に配属される。同日に呉を出港し、高雄型重巡洋艦の1隻である愛宕(重巡洋艦)をトラックまで護衛した。同年1月25日にトラックに到着し、以後トラック周辺での対潜掃討やガダルカナル島輸送作戦に従事。4月9日に第四根拠地隊の指揮下に入り、ラバウル方面で船団護衛に従事する。5月10日に第四根拠地隊の指揮下を離れた後も、引き続きトラック周辺での間接護衛の任務に就いた。

9月に入って修理を終えた後、丁一号輸送部隊に編入されてポナペへの輸送に従事した。10月には第三艦隊と行動をともにしてエニウェトク環礁に進出し、カビエンへの輸送任務を終えた後、11月6日にラバウルに進出し、第十戦隊の指揮下に入ってブーゲンビル島タロキナ輸送に輸送隊として参加した。

日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西のブカ島とにらみ、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった。第一次輸送は11月21日に行われ、妨害を受けることなく輸送は成功した。11月24日、第二次輸送のためラバウルを出撃。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、ブカ島を離れた。その帰途の11月25日、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊の先制雷撃を受け(セント・ジョージ岬沖海戦)、轟沈した。

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大日本帝国海軍

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