- ♪ショスタコーヴィチ『革命』
概要
露.Леонид И.Брежнев
英.Leonid I.Brezhnev
レオニード・イリイチ・ブレジネフ(1907年-82年)
第5代〈赤い皇帝〉。(4.7代ソビエト議長(国家の第一人者.元首)、2代共産党書記長(共産党の第一人者)(任期1966-82.12年))(フルシチョフの失脚後、元首を務めていた際に書記長、閣僚議長(短期間)兼任をし名実ともにソビエトの統治者となった。統治期間は12年でありスターリンの次に長い。
政治的内容としてはスターリンとフルシチョフを足して2で割ったような多少リベラル(自由)・多分にコンサーバビリテー(保守主義)的な政治を行い、よく言えば共産党の独裁を延命させ、悪く言えばひどくソ連の文化水準や技術・能力を停滞させた。大々的なソビエト国家・共産党の批判は当然のごとく弾圧されたが、目で見えないところでの深い批判は感知しなかった。(なんとなく老人的な痴呆を思わせる。)
1977年にスターリン以来の憲法改正を行った。
【ブレジネフ憲法のおもな内容】
- 共産国家(共産党独裁)の維持
- ソ連邦および同盟国(社会主義諸国)の維持のためには、自由を奪うのは当然
- ソ連構成共和国に多少の権限委譲
このような内容だったので、眼新たらしさがない上に『自由を奪うのが当然』という考え方が、当時の社会主義諸国や自由主義諸国も失望させた。
(編集中です)
【共産主義のネタ切れ】
治世末期になるとブレジネフは権力に強く執着し、晩年は数々の勲章で自らを飾り付け国民から嘲られた。それとは裏腹にソ連の国力の低下が顕著になると、それを補う手段としてアフガニスタン侵攻などを行いソ連の経済を悪化させた。この戦争は当時・現在ともに評価は低く、ソ連崩壊を早めたとされる。
関連タグ
フルシチョフ(前任) ユーリ・アンドロポフ(後任)