リシュリュー
りしゅりゅー
リシュリューとは
1.の史実のリシュリュー
(1585~1642年)
フランス国王ルイ13世の宰相を務め、中央集権体制確立と王権強化、行政組織の整備、文化政策などで絶対王政の基礎を築いた。生涯を通じ国内外に常に無数の政敵がいた。
ペンは剣よりも強し
リットン男爵の戯曲「リシュリュー」の劇中の言葉。
「暴力に屈することなきジャーナリストの矜持」のように取られがちだが、実は敵対者たちを「俺が書類にペンで署名すればお前らの人生なんて終わる」と脅している。
2.の三銃士のリシュリュー
フランス王国の宰相。王妃と政治的に対立しており、王妃の味方の三銃士・ダルタニャンたちと敵対する立場にある。
3.の戦艦リシュリュー
海軍休日明けにフランス海軍が生み出した戦艦であり、フランス最後の戦艦の艦級となったリシュリュー級の一番艦。完成した同型艦にジャン・バールがある。
戦艦は進化するにつれて主砲塔の数は少なく、砲塔1基あたりの門数は多くなる傾向にあるが、リシュリュー級はその極致ともいえる4連装2基であり(砲塔の中央に強固な隔壁があり、左右2門ずつ戦闘室が独立している。実質2連装砲塔×2×2)、いくら防御力が高まるとはいえ、砲塔が一つダメになると火力半減という危険を冒しているのはアグレッシブである。さらに2基の砲塔を前部にまとめ、重要防御区画の短縮で浮いた重量分を装甲に充て、強化を図っている。主砲口径は、当時の欧州標準と言える38センチである。速力も30ノットを発揮可能で、時代に沿っていると言える。マストと煙突を合体させたMACKの元祖。
第二次世界大戦では、ドイツのフランス侵攻時点でまだ工事中であり、急遽北アフリカのフランス植民地に脱出することになった。ダカール港でフランス艦船がドイツの手に落ちることを恐れるイギリス軍により攻撃を受けたが、多少の損害は受けたものの沈まなかった。植民地のフランス軍が連合国側に付いたのちは、ブルックリン海軍工廠(アメリカ)で完工工事と修理を受け、各地で作戦に参加、インド洋方面から日本軍とも交戦している。
試航で予定を上回る31ノットを叩き出した。このクラスの戦艦でこれを上回る速力を出したのは防御力と高速時の安定性に問題があるアメリカのアイオワ級だけである