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プカラの編集履歴

2015-09-12 10:29:36 バージョン

プカラ

ぷから

アルゼンチン国産のCOIN機で、ターボプロップエンジン双発とT字型尾翼が特徴的。1960年代までの国内政情不安を背景にアルゼンチン航空機製造工廠により開発され、国内反政府組織の掃討に投入される一方、フォークランド紛争にも参加している。ちなみに「プカラ」とはペルーに築かれたインカの城塞のこと。

その前後のアルゼンチン

第二次世界大戦を中立で過ごし、また連合国へ輸出により莫大な外貨を得たアルゼンチン軍事独裁政権は重工業を整備し、のちに大衆主義にも傾倒していったが、これは外貨を使い果たすとともに終わってしまう。


1955年にはクーデターが起き、この混乱でせっかく整備した重工業化も停滞し、1962年にはこうした不満を背景に別のクーデター政権が成立するが、同様の動きは1966年や1969年にも起き、アルゼンチンはすっかり政情不安国家となってしまう。その後もこうしたクーデター政権同士による政権交代は続く。

(ただし、これは何もアルゼンチンだけの話ではない。南米はもちろん、アジアでも普通のことだった)


1976年、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍率いるクーデター政権(またか)が成立したが、その後は経済政策で行き詰まり、1982年には以前より領有権問題で揺れていたマルビナス諸島(イギリス名:フォークランド諸島)を占領して政権浮揚に繋げようとした。イギリス内政の混乱や、またマルビナス諸島の経済不振にも乗じた動きではあったが、時の首相マーガレット・サッチャーによる回答は『海軍・海兵隊による奪還』という、強固なものであった・・・


プカラと政情不安

こうした国内の動きから要求されたので、主に想定された敵は「外国による大規模な侵攻軍」ではなく、国内反政府組織による反乱軍とされたのはいかにも当然のことだった。


最初の試作機AX-2は1969年に初飛行し、1974年からは生産機が続々と配備されている。1976年にはさっそく北西部の「人民革命軍」鎮圧に投入され、良好な戦果を挙げたことから空軍はさらに追加発注を行い、この一部は輸出分にも廻されたが、総生産数は148機となった。

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