1.京阪電気鉄道が運行する特急列車の通称。
2.1をPRすべくつくられたCMソング。
概要
1914年に五条~天満橋間(本項では、運行区間を『京都側~大阪側』で表記させていただく。これは、京阪本線の起点が京都側にあるためである)で運行された急行電車をルーツとする。
1916年4月には最速達列車として最急行が運転されるが(その際、急行は停車駅を増やして設定された)、僅か4ヶ月で廃止されてしまった。
京阪本線に「特急」が誕生したのは1934年のことで、天満橋と浜大津を結ぶ特急「びわこ」がそれである。車両は連接方式の60形を用いた。
(「びわこ」に用いられた60形)
ただし、琵琶湖方面に向かう「びわこ」を除きこの時代京阪間を直通する特急は設定されていなかった。この当時は新京阪線が運行されており、京阪間直通の乗客は新京阪線に任せていたからである。
(新京阪線の「超特急」として運行されたP-6形。イラストは戦後、阪急京都線時代のもの)
ちなみに新京阪線のほうには当時最速達列車として「超特急」が運転されていた(1938年に「特急」と改称)。
(京阪初の特急専用電車1700系)
京阪本線上に「京阪特急」が登場したのは1950年のことで、初期は戦前の急行にも用いられた流線型電車が使用されたが、1951年には京阪初の特急専用車1700形が運行を開始した。なお、現在まで続くハトのヘッドマークはこの翌年に公募でデザインされたものである。
(京阪最初の「テレビカー」1800系。日本初の高性能車両でもあった)
またその翌年には車内にテレビを設置した「テレビカー」が運行を開始する。こちらも京阪特急のシンボルとして長らく運行されてきたが、「時代の流れ」により2011年までにテレビカーは運行を終了する予定である。
1963年には新たに大阪側のターミナルとして淀屋橋駅が開業、それまで三条~天満橋間での運行だったものが三条~淀屋橋間となりより大阪の中心部に近くなった。車両も1900系に統一が進み、1967年には朝~昼間の特急が6両編成となる(夜間は3~4両編成)。
1971年には国鉄の新快速や阪急の2800系特急に対抗するため、冷房装置とカラーテレビを設置した3000系(初代。現・8030系)を投入、1989年には7両編成への統一がなされ、編成替えにより不足する車両を補充すべく8000系を投入。しかし8000系は好評だったために結局、3000系は7連1本と予備車2両を除き廃車となった(予備車のうちの1両がダブルデッカーに改造された)。
なお、京阪特急は七条~京橋間ノンストップ運転が原則であったが、1993年1月末のダイヤ改正で平日朝の淀屋橋行き特急が中書島に停車するようになったため、この原則が初めて破られた。以後、年を追うごとに停車駅が増加し、2000年のダイヤ改正ではついに七条~京橋間ノンストップ列車が消滅した。
1995年から3000系のうちの1両を改造してダブルデッカー車両を投入、好評であったため8000系用にもダブルデッカー車を連結して現在は全車8両編成となっている。
現在の停車駅
《》内で記された駅は、快速特急の通過駅である(「特急」は停車)。
また、京阪本線の起点は京都側であるため、それに従い京都側より順に表記する。
出町柳-三条-祇園四条-七条-丹波橋-中書島-(※淀)-《樟葉》-《枚方市》-京橋-天満橋-北浜-淀屋橋
※競馬開催時の最多客時に設定される、淀始発淀屋橋行の臨時特急のみ発車(他の特急は通過)