南モンゴル
みなみもんごる
モンゴルの南部。中華人民共和国内モンゴル自治区。
戦後における民族自決の気運の高まりから、1947年5月1日に内モンゴル自治政府が成立したが、中国共産党のモンゴル人幹部による懐柔工作によって、1949年に中華人民共和国に参加するという誤った選択をしてしまったために、その後は内モンゴル自治区とされ実質的に植民地として、容赦の無い弾圧と虐殺が加えられた。
漢民族の大量入殖・人口侵略によって、モンゴル人は自治区内でも少数派となってしまい(自治区内の人口の約13%に転落)、土壌に合わない農耕・牧畜により緑豊かな大牧草原が次々と砂漠化してしまったため、春先に日本に飛来する黄砂の元凶となっている。
更に学校ではモンゴル語が禁止され、資源の強奪などモンゴル人の人権が奪われ、彼らの貴重な独自の文化が消滅の危機に瀕している。