概要
第二次世界大戦で活躍した日本軍の陸上攻撃機、略称は『九六式陸攻』である。
1930年代に行われたワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約により、戦艦や空母などの主力艦の保有制限をかけられた当時の大日本帝国海軍は陸上基地からの船舶攻撃が可能な双発攻撃機の開発計画を立ち上げた。
開発
当時の海軍機製造企業で大型全金属機の製造能力があったのは広海軍工廠と三菱内燃機だったことから海軍はそれぞれに競争試作機の設計開発を命令、1935年に試行飛行に成功した三菱の『九試陸上攻撃機』が海軍側の要求性能にそこそこ近い優秀な成績を収めたことから『九六式陸上攻撃機』として正式採用されるに至った。
特徴
本機の設計は長距離攻撃機として空気抵抗と燃費の低減に重点を置いている。
日本軍機としては初となる引き込み脚を採用したスマートな機体構造に自動操縦装置や帰投方位測定装置を標準装備としている革新的な機体だった。しかし、開発当時は世界的に見ても防弾装備に対する見識が薄かったことや長距離飛行が可能な護衛戦闘機がいなかったことが災いして多くの被撃墜機を出している。
戦歴
1937年の支那事変勃発に伴い九六式陸攻は本来の設計目的とはまったく関係ない渡洋爆撃を成功させたことでその存在が一躍有名となった。
鹿屋両航空隊の九六陸攻隊の渡洋爆撃やマレー沖海戦で、一式陸上攻撃機と協同でZ艦隊のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈する等輝かしい戦果を上げた。
しかし、戦争の長期化に伴い九六式陸攻の性能も陳腐化の一途を辿り、後継機である一式陸攻に第一線の座を譲ることになる。その後は落下傘部隊の輸送機型などに改造されて後方任務につくことが多くなったが、大戦末期には海上護衛などの対潜哨戒や敵艦隊への夜間雷撃などの任務で再び前線に立つこともあったという。
性能
二一型(中期型) | |
全長 | 16.5m |
全高 | 3.7m |
全幅 | 25.0m |
重量 | 7642kg |
発動機 | 三菱『金星』四二型空冷複列星形14気筒ガソリン・エンジン(1075馬力)×2 |
最高速度 | 3373km/h |
巡航速度 | 140km/h |
航続距離 | 4550km |
上昇限度 | 7500m |
武装 | 7.7mm機関銃(3挺) 20mm機関砲(1門) |
搭乗員 | 8名(輸送機型:8~10名) |
爆装 | 約800kg(60kg爆弾×12, 250kg爆弾×2, 800kg爆弾・魚雷×1) |