PS-1
ぴーえすわん
沿革
新明和工業の菊原静男技師は、1953年頃から飛行艇の開発を構想していた。
1957年、防衛庁に新型飛行艇の開発を提案。
1960年、グラマン社(アメリカ)は、飛行艇技術の自社への移転を望み、新明和工業に改造ベースとしてHU-16を1機提供し、実験機「UF-XS」が製作された。
防衛庁は「吊り下げ式ソナー(ディッピングソナー)」の運用に飛行艇が最適と考え、新明和工業にソナーを主、ソノブイを従として運用する対潜飛行艇「PX-S」の開発を指示した。
UF-XSは、1962年から1966年にかけて実験と調査を行った。
当時、海上自衛隊はロッキードP2V-7「ネプチューン」を採用していたが、居住性や探知能力に問題があり、川崎重工が改造しP-2Jとした。P-3Cの導入がロッキード事件の煽りを受けて白紙に戻されてしまい、1979年まで主力対潜哨戒機として運用された。
1965年5月、防衛庁は新明和工業に対して試作機の製作を命じ、「高揚力装置と自動安定装置による超低速飛行」「BLCシステムによるSTOL性能」「波高3mでの離着水が可能」などの要求が盛り込まれた。
1967年10月24日、PX-Sが初飛行。実験ではトラブルが相次いだが、装備品運用計画を変更することはできず、PX-Sは1968年7月31日に海上自衛隊へ納入され、岩国航空基地で運用試験が行われた。
1970年、「PS-1」として制式導入が決定。
1973年3月1日、第31航空隊へ配備された。
当時のソ連潜水艦は急速に高性能化しつつあり、配備されてみると能力不足が明らかになる。ソノブイの改良により、ディッピングソナーの優位は無くなっていた。
水上での安定性に問題があり事故が相次いだ。退役までに6機が事故で失われ、自衛隊員30名以上が殉職した。
対潜ヘリコプターの発展により飛行艇の需要は無くなり、グラマン社から技術協力を頼まれる事も無かった。
1980年8月、防衛庁はPS-1の調達打ち切りを決定し、23機で生産終了。
1989年、対潜哨戒機としてP-3Cが導入され、PS-1は全機退役した。
PS-1の度重なる改修で得た技術を生かすべく、1970年代に多用途化が計画され、後にUS-1が開発された。
PS-1は3機が現存している。
飛行不可能で機材もほとんど外されているが、通常よりも深く展開するフラップや追加されたソノブイ投射装置などが往時をしのばせる。