曖昧さ回避
概要
アラヤとは「蔵」を意味する言葉。
『大方広仏華厳経』『大乗入楞伽経』などの大乗経典において言及され、様々な注釈書、論書でも言及された。
八つの感覚(認識)は以下のようになっている。
- 眼識:視覚による認識。
- 耳識:聴覚による認識。
- 鼻識:嗅覚による認識。
- 舌識:味覚による認識。
- 身識:触覚をはじめとする身体感覚。
- 意識:意識、精神活動による感覚。
- 末那識:意識同様、精神活動としての識だが、生きている限り睡眠時にも永続する。寝ても覚めても「自己」に執着し「自我」を思い続ける識。
- 阿頼耶識:上記の識からくる情報を「蔵」のように蓄積し続け、やがて煩悩を発生させる識。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識においてはただの情報であった認識は、意識と末那識によって汚染され、汚染された認識は絶えず阿頼耶識に注ぎ込まれ煩悩を生む。
その煩悩は逆流するように意識と末那識に影響を与え、五感を通した貪りを生むという負の連鎖が生まれる。
悟りを開いた者はこの八識が凡夫とは異なるものに変容し、煩悩から解放され、世界をありのままに観るという。