概要
なつしきとは『文豪とアルケミスト』における、夏目漱石(文豪とアルケミスト)と正岡子規(文豪とアルケミスト)のカップリングである。
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史実の二人
二人は共に慶応3年(1868年)生まれの同級生。
方や東京生まれの江戸っ子。方や四国は愛媛・松山出身だが、子規が東京大学進学を目指し上京したことにより明治22年1月、寄席を切っ掛けに二人は急速に距離を縮めていく。
子規が大喀血をして自らを「子規」と号したのはその年5月。
見舞いに駆けつけた漱石は、帰宅後すぐに手紙をしたため、それが二人の(現存する)最古の書簡となった。
ちなみにこの頃、子規が手がけた漢詩・俳句等の文集『七草集』に漱石は批評を残し、その時初めて「漱石」という号が使われていたりする。
それから、明治35年に子規が亡くなるまでの十三年間。
二人で京都旅行に出掛けたり、松山で52日間同居したり、俳句を作り添削するやり取りを重ね、子規が近代俳句の革命を行う裏で、二人は確固たる友情を深めていく。
そして、子規が亡くなった三年後の明治38年。
漱石は小説家として筆を執り、処女作『吾輩は猫である』を世に送り出す。
明治の大文豪として歩み始めた彼の作品が最初に掲載されたのは、子規が遺した文芸誌『ホトヽギス』であった。
"子規がいきて居たら「猫」を読んで何と云うか知らぬ。或あるいは倫敦消息は読みたいが「猫」は御免ごめんだと逃げるかも分らない。"
"余も亦また「猫」を碣頭に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。"
『吾輩は猫である』中篇自序/夏目漱石
漱石のあの代表作は、子規に捧げられたものだったりするのだ!
ようするに史実がしんどい!
(生前の彼らの友情関係は、漱石のWikipediaを読んだ方が手っ取り早かったりする)
そういう関係だったのだということを前提に、帝國図書館に転生した二人を見てみると、運営の二人に対する手厚い待遇に頭が下がります。
ゲームの二人
ゲームでは互いに「夏目」「正岡」と呼び合っている。
ボイス
子規は二つのボイスで漱石の事に言及。
漱石もいつも自分を振り回す子規についてぼやくようなボイスを話す。
気心の知れた二人の関係を思わせる台詞は必聴である。
双筆神髄
二人の掛け合いも当然のように存在する。
ここでも、二人の軽快なやり取りに注目して欲しい。
回想
「ほ-1」の坊ちゃんに二つ回想あり。(そのうち一つは森鴎外(文豪とアルケミスト)も含めた余裕派全体の回想)
二人きりの回想では、対子規にのみ使われている漱石の一人称と口調が判明する。
献立
土曜の夜メニュー「うな重」に回想あり。
二人にとってうな重は、同居時代のことを思い起こさせる。(※夏目漱石著『正岡子規』より)
無邪気な子規と嬉しそうな漱石の声が、二人が再会を喜んでいる様子を伺わせる。
手紙
子規から漱石に一通。漱石から子規に二通手紙を出している。
……漱石先生、それただのデートのお誘いでは……?
他にもキャラクターブックやB's Log(2017年8月号)にて、更なる燃料が投下されているため、今後運営が二人にどんな関係を持たせてくれるのか期待される。
――親友で長年の付き合いである夏目漱石に対しては無遠慮な面もあるが、それは信頼の証。
――本当に正岡は昔から勝手なんですから……
おすすめ書籍
夏目漱石著
・『吾輩は猫である』中篇自序
・『京都に着ける夕』
・『子規の画』
・『正岡子規』
・子規亡き後に漱石が記した追悼文(未完成)
以上四点は青空文庫で読むことができ、追悼文も「Web版夏目漱石デジタル文学館」より読むことが出来る。
正岡子規著
・『墨汁一滴』
こちらも青空文庫で読むことが出来る。漱石とのエピソードを記した物あり。
岩波文庫『漱石・子規往復書簡集』
十三年間の友情を追うことが出来る。