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センチネル巡航戦車の編集履歴

2018-01-04 23:04:16 バージョン

センチネル巡航戦車

せんんちねるじゅんこうせんしゃ

第二次世界大戦時にオーストラリア陸軍で開発運用された巡航戦車である。

概要*

開発背景

イギリス海外自治領であるオーストラリアは第一次世界大戦時に派兵はしたものの

国防戦力は極めて少なくまた、基礎工業力も同じ自治領のカナダよりも劣っており、

車すら生産したことがない有様であった。しかし、第二次世界大戦の勃発により

イギリスからの武器供給が難しくなり、太平洋でも日本とアメリカの間で緊張が高まっていた。

1940年7月オーストラリア自治政府は国産戦車の必要性を真剣に考え始めることとなる。


開発

1940年11月に陸軍から国産戦車の要求仕様書がまとまられた。仕様を下記に示す。

重量は16~20t、武装にはイギリス製の2ポンド(40mm)戦車砲と1~2挺の機関銃を装備し、最大装甲厚50mm、路上最大速度30マイル(48.28km)/h、路上航続距離150マイル(241km)、乗員4~5名


自治政府と軍はこの計画にゴーサインを出した。情報収集のため技術責任者のA.チェンバレンが

アメリカに送られると共に、イギリスに要請して戦車の専門家のW.D.ワトソン陸軍大佐の派遣を

してもらい戦車設計局長に任命された。新規設計の車体を製作するより既存車両のコピー生産が

現実的と判断されアメリカのM3中戦車の主要コンポーネントを流用した。エンジンは

キャデラックの自動車エンジンを3台つなげたものにされ様々な紆余曲折を経て、

1941年10月にAC-Ⅰが完成する。


量産と結末

1942年1月パイロットモデルである3両が完成、AC-Ⅰの試験が行なわれるとともに

量産準備が進められた試験結果を受けて改善された量産車が1942年8月に完成した。

AC-Ⅰは『センチネル』の名称が与えられた。しかし、このころになると敵である

日本軍のオーストラリアへの進行の可能性がなくなり、また、M4中戦車の供給が始まると

1943年7月には生産中止となった。総生産数は66両であった。


関連タグ*

巡航戦車 ラム巡航戦車 M4シャーマン

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