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第343海軍航空隊の編集履歴

2018-01-12 19:34:07 バージョン

第343海軍航空隊

だいさんよんさんかいぐんこうくうたい

日本海軍の戦闘機部隊の一つ。日本海軍には二つ存在したが、一般には日本海軍最後の精鋭部隊と名高い『剣部隊』を指す。

概要

日本海軍の戦闘機部隊の一つ。1944年1月に開隊した初代の通称隼部隊(はやぶさぶたい)と、一般にも有名となった、1944年12月に開隊した二代目の通称剣部隊(つるぎぶたい)がある。


隼部隊

最初の局地戦闘機部隊として編制された。しかし予定機材の紫電の生産遅延などによる機材不足から、零戦装備の航空隊として1944年1月1日に鹿児島航空基地で編成される。その後、マリアナ沖海戦にまつわる攻防戦で壊滅、1944年7月10日解隊される。活動期間が半年にも満たなかったため、後身と言える剣部隊の影に隠れてしまった悲劇の部隊である



剣部隊

隼部隊の壊滅後、空いていた同隊の名を引き継いで開設され、大戦末期の日本海軍航空隊では、ほぼ唯一、まともな制空戦闘が可能な練度を持つ部隊であった。1944年(昭和19年)、源田実大佐の着想によって創設された。思想的には優秀な人員と新人を混在させた事で、航空隊全体のボトムアップを図ったがため、大戦末期の烏合の衆と成り果てていた日本海軍航空隊の中では、例外と言えるほどの平均練度を誇った。また、機材も日本海軍最後の希望と目された紫電改を独占的に配備していた事、当時まで生き残っていた熟練搭乗員も多く在籍し、活躍した事から、ドイツ空軍の第44航空団と双璧を成す、枢軸国軍が最後に生み出した精鋭部隊とされている場合が多い。

実際の構成は新人のほうが多めであったが、日本海軍航空隊では唯一無二、終戦まで孤軍奮闘した、大戦末期の状況下でまともな制空戦闘が許された部隊の一つなので、日本海軍航空隊の有終の美を飾ったと評価されている。



関連人物

菅野直:初代・二代ともに在籍していた。後者では分隊長であり、後者での活躍が有名である。


二代目(剣部隊)に在籍した人物

源田実 (創設者)

鴛淵孝(分隊長)

坂井三郎(教官)

武藤金義(菅野直の護衛役として呼び寄せられたが、乱戦で命を落とす。坂井三郎の親友)


関連タグ

紫電改

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