武藤 金義(1916年 - 1945年)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は中尉。撃墜機数は28-30。
経歴
愛知県海部郡大治村の農家に姉弟7人の3男として生まれる。実家は副業として竹で扇子の骨を作っていた。父は日露戦争に出兵し金鵄勲章を叙勲している。弟の光春は金義の強い勧めで海軍兵学校を受験して73期生に合格し戦闘機搭乗員にもなっている。
1935年(昭和10年)6月1日、呉海兵団に入団、駆逐艦「浦波」に乗艦。1935年(昭和10年)12月23日、第32期操縦練習生を拝命。1936年(昭和11年)7月、同課程卒業。大村航空隊での延長教育を受ける。
1937年(昭和12年)10月、第十三航空隊に配属。上海に進出し支那事変に参加。
1937年12月4日、南京上空で中華民国国軍の楽以琴が搭乗するI-16戦闘機1機を撃墜。これが武藤の初戦果となった。
12月12日、第十二航空隊に異動。南京、南昌、漢口攻撃などで活躍を続け、武藤は中華民国軍機を合計5機撃墜し撃墜王となった。
その後、フィリピン・ソロモン諸島・硫黄島を転戦。
1945年(昭和20年)2月17日、厚木基地上空に飛来したグラマン編隊の内12機にオレンジ塗装の紫電改単機で挑み2機の撃墜を報告。敵を集団から一機ずつ誘い出して撃墜する様は小説『宮本武蔵』の一乗寺下り松の決闘を思わせる戦いぶりであり、その時から海軍内で「空の宮本武蔵」の異名で知られるようになった。
1945年(昭和20)年6月、第三四三海軍航空隊 (以下「343空」とする)戦闘301飛行隊(通称新撰組)に異動する。戦死した杉田庄一上飛曹の代わりとして隊長菅野直大尉の護衛が務まる人物として司令の源田実大佐が指名、343空から坂井三郎少尉と野口毅次郎少尉の交換となった。
着任した武藤は、源田司令に対して「私が来たからには隊長は死なせませんよ」と約束している。
1945(昭和20)年7月24日、武藤を含む21機で10倍以上の米機動部隊艦載機を迎撃するため大村から出撃。豊後水道上空の交戦で武藤は敵編隊に攻撃を加え、菅野隊長を襲う機体にも攻撃した。激戦の中、武藤は源田司令との約束を守りきったが、この戦闘で武藤は未帰還となった。(この日の戦闘で343空は、武藤、鴛淵孝隊長など6名が未帰還。菅野隊長も1945年(昭和20年)8月1日に未帰還)
関連タグ
宮藤芳佳・・・アニメ『ストライクウィッチーズ』の登場人物で武藤が元ネタ。
関係した人物も元ネタに使われている。