平安時代中期の公家・歌人。中古三十六歌仙の一人。官位は正五位下・右少将。後少将と号す。
経歴
天暦8年(954年)摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)として生まれる。母は恵子女王。
侍従・左兵衛佐を経て、天禄二年(971)、右少将。同三年、正五位下。
天延二年、疱瘡に罹り、九月十六日、朝に亡くなった兄挙賢(たかかた)に続き、夕に亡くなった。享年二十一。
美貌で仏教への信仰心が篤かったことは、『大鏡』『栄花物語』などの逸話に窺われる。
清原元輔・源順・源延光ら歌人との交流が知られる。
代表作
君がため 惜しからざりし 命さへ
ながくもがなと 思ひけるかな
(藤原義孝(50番) 『後拾遺集』恋二・669)