PONG
ぽん
概要
画面端で跳ね返りながら移動するボールを、二人のプレイヤーが打ち合って得点を競う。
1972年に発売された後は、各社がクローンゲームを開発し、一大ジャンルとなった。
発売翌年の1973年から日本にもクローンゲームや輸入品(筐体の外装を変えただけのセガの「ポントロン」、同じく外装を変えただけのタイトーの「エレポン」)等が出回り、日本人にとって初めてのビデオゲームとなった。
ゲームそのものはシンプルだが、コンピュータゲームのマイルストーンとして重要である。
後に自宅でPONGを遊べる家庭用ゲーム機として「ホーム・ポン」が発売され、こちらもクリスマス商戦で完売する程の人気商品となった。
Odysseyとの関係
各社がこぞってクローンゲームを発売したPONGだが、実はPONG自体もマグナボックス社が発売した家庭用ゲーム機・Odysseyに内蔵されている「テーブルテニス」というゲームのクローン作品だったりする。
しかし、「テーブルテニス」は音や点数表示が無い、ボールの速度も一切変わらないなどの点から評価は高くなく、(当時はアーケードゲームと家庭用ゲーム機の性能差が大きく、仕方ないところもあった)これにボールの速度が変わるようにしたり、上下左右に動かせたラケットを上下にのみ動くようにするなどの改造を施したのがPONGである。
PONGのヒットでAtariは急成長を遂げるものの、当然というべきか後にマグナボックス社から裁判を起こされており、特許料70万ドルを支払う羽目になっている。
皮肉なことに、マグナボックスがビデオゲーム事業で一番儲けた金額はこの特許料だとも言われている。
後に日本ではマグナボックスと提携したメーカーからゲーム機が発売されたものの、Odysseyが日本で発売されなかったことと、上述のように日本ではPONGの方が有名になっていたため、マグナボックスと提携したゲーム機もPONGクローンとして認識される。