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概要編集

ドイツ生まれのアメリカ人発明家であるラルフ・ベアが開発し、マグナボックス社から1972年に発売された世界初の家庭用ゲーム機。28種類のゲームが内蔵されている。日本では未発売。

名前の由来はSF映画2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey)から来ている。


特徴編集

電源は当然ながらACアダプタを使用するのだが、単2電池6本で代用することも可能だった。


Day 01 - Magnavox Odyssey

コントローラーは四角い箱のような形状。ダイヤルのようなツマミを回して操作する。後に登場する据え置きゲーム機でも、しばらくは本体とコントローラーが一体になっているゲーム機が続くのだが、このOdysseyは早くも本体からケーブルで伸びているコントローラーを採用しており、一歩も二歩も時代を先取りしたつくりになっている。


本体前部のスロットにカードを差し込むことでプレイするゲームを切り替える仕組みになっており、後に主流となるカートリッジ交換式ゲーム機の先駆け的存在といえる。

ただし、このカードは本体の配線を切り換える回路が入っているだけで、新しくカードを作っても本体に内蔵されている以外のゲームを増やすことはできなかった。


ゲーム機としてのグラフィック機能はまだまだ原始的であり、画面に表示できるのは2、3個の点だけだった。それを補うのが、同梱されているオーバーレイという半透明のシートである。

これをテレビ画面に貼り付けることで、テレビ画面がテニスコートやルーレットなどのゲームフィールドに早変わりするのだ。

試作機ではカラーと音声出力にも対応していたが、コストとの兼ね合いから製品化の際に省かれた。


内蔵されているゲームの中では、ラケットを操作してボールを打ち合う二人対戦ゲームの「テーブルテニス」が有名。

他にも別売りの光線銃セットを購入することで、射撃ゲームをプレイできるようになる。

なお、この光線銃の製造は当時日本で玩具の光線銃シリーズをヒットさせていた任天堂に発注された。

その縁からか、後に任天堂はOdysseyのライセンスを取得し、テレビゲーム15を発売している。


Odyssey自体は日本では未発売だが、後述のOdyssey²は日本でも発売された。


販売と広告編集

全く新しいジャンルの商品であり、一般市民にとって馴染みが薄いため、大規模な宣伝活動が行われた。

発売1年前から全米各地でプライベートショーを行い、宣伝にはフランク・シナトラを起用する程の熱の入れっぷりだった。

プライベートショーに来ていたノーラン・ブッシュネルはOdysseyのゲームに深く感銘を受け、翌年にAtariを創業した。


しかし、大規模な宣伝とは裏腹に、売れ行きは芳しくなかった。「マグナボックス製のテレビじゃないと遊べない」と勘違いされたことと、購入したユーザーからの評判が今一つだったことが原因である。


挙句の果てに同年にAtari社がOdysseyのテーブルテニスを模倣したPONGをヒットさせ、一気に話題を持っていかれてしまう羽目に。

しかし皮肉にも、PONGの登場によってOdysseyの売り上げも持ち直し、最終的に35万台を売り上げた。


Odyssey²編集

1978年に発売された後継機。後継機と言っても前モデルとは名称以外の関連性は全くなく、CPUを搭載してROMカセットでゲームを供給する、Atari2600インテレビジョン等と同じ第二世代型のゲーム機である。

日本では1982年にコートン・トレーディング・トイタリー・エンタープライズから49,800円で発売。1983年時点では国内取り扱いのソフト数が一番多いゲーム機となった。

本体にはQWERTY配列のキーボードが搭載されており、いかにもパソコンに拡張できそうな外観をしていたが、リリースされたのは独自のマクロ言語が扱えるプログラム入門ソフトのみだった。


関連タグ編集

オデッセイ ゲーム機 据え置きゲーム機 マグナボックス

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