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インテレビジョン

いんてれびじょん

アメリカの玩具会社マテルが1980年に発売したゲーム機。日本ではバンダイが輸入販売を行った。
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概要編集

元々はmattelが1980年に『Intelllivision(インテリビジョン)』の名前で発売したゲーム機であり、日本では1982年にバンダイが『インテレビジョン』という名称で発売した。


特徴編集

このゲーム機の最大の特徴は、16ビットCPUを搭載した史上初の家庭用ゲーム機であるということだろう。

3年後に発売されるファミコンや、7年後に登場するPCエンジンですら8ビットCPUであることを考えれば、本機が如何にオーバーテクノロジーな代物なのかが窺える。ただビット数だけであれば1982年に発売されたぴゅう太も16ビットCPUだったが。

本機に次ぐ16ビットゲーム機の登場は、1988年のメガドライブ発売まで待たなければならない。

グラフィック性能も当時人気だったAtari2600を全面的に上回っており、テレビCMにおいてはAtari2600と対比させる強気な比較広告が行われた。


販売編集

性能が高い分値段も高く、日本では49,800円、本場アメリカでも299ドルという高値で販売されていた(1980年末にAtari2600は130ドルに値下げしている)。ただ同じ時期に日本で販売されていたAtari2600Odyssey²も5万円前後だったので、相場と言えば相場だった。

日本ではデパートを中心に販売されたので、デパートのおもちゃ売り場で本機が展示されているのを見た人もいるのではないだろうか。

日本では格安のカセットビジョンや同価格帯のぴゅう太・ゲームパソコンm5の存在もあり、あまり売れなかったものの、アメリカでは一定の人気を維持し続け、Atariに次ぐシェアを獲得していた。ケーブルテレビ回線を使用したゲームのダウンロードサービスなどの野心的な試みも行われた。

しかし、スペースインベーダーパックマンなどのキラーソフトに恵まれたAtari2600の牙城を崩すことはできず、更に1982年にはより高性能で安価なコレコビジョンが発売されたために売り上げが伸び悩む。

最終的にアタリショックの煽りを受けて、1984年にマテル社はゲーム事業から撤退してしまった。


その後は細々と在庫を処分していたのだが、後にメールオーダーという形で新モデルの本体の販売が行われ、新作ソフトも供給された。結果的に1991年まで業務は継続され、出荷台数は300万台に達した。


関連タグ編集

ゲーム機 据え置きゲーム機 バンダイ

ビートたけし:日本市場におけるイメージキャラクター

ぴゅう太:ほぼ同時期に発売された16ビットCPUのゲーム機・ホビーパソコン。同じくファミコンに駆逐された。

バンダイ・アルカディア:後継機という名目で発売したゲーム機。

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