概要
1519年に信虎の長女として生まれる。正室との子であり、信玄の同母姉にあたる。
1537年に今川家との同盟強化のために義元の元に嫁ぐ。
その後義元とに間に長男今川氏真を授かり、娘も二人もうける。
しかし、1541年に弟晴信が父を追放してしまう(正確には甲斐への帰国を拒絶する)。この時信虎はちょうど定恵院と義元に会うため駿河を訪れており、以後父は娘夫婦を頼って駿河に滞在する。
1550年に死去。享年32歳。
彼女の死後今川武田間の同盟を維持するため娘の嶺松院が甥の武田義信に嫁いだ。後に信玄の娘で彼女の姪にあたる黄梅院が北条氏政嫁ぎ、更に息子氏真が北条氏康の娘である早川殿と結婚したことから三国同盟に繋がっていく。
戦国大戦
戦国大戦に今川家の武将として登場。若くして死去したことからか、包帯を巻いた病弱で儚げな女性となっている。父と弟は険悪で、自身は(当時から言えばそう極端ではなかったが)早死にしている。そして仮に長生きしたとしても夫が戦死し、更に息子が弟に裏切られて没落していく様を見ることになるあたり、当時の武家の娘の悲哀を感じさせる。