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井上馨の編集履歴

2018-08-03 23:30:53 バージョン

井上馨

いのうえかおる

井上馨(1835~1915)とは江戸、明治、大正時代に活躍した武士、政治家。

プロフィール

生年:天保6年(1836)11月28日

没年:1915年9月1日


概要

江戸、明治、大正時代に活躍した武士、政治家。


長州藩士の次男として生まれる。始め志道(しじ)聞多と名乗る。尊攘運動を行い高杉晋作らと品川公使館焼き討ちを決行。


伊藤博文ら4人の長州藩士イギリス留学しイギリスの圧倒的な産業の発展を目にし攘夷の無謀さを悟る。イギリス滞在中に下関戦争で4か国艦隊が長州に攻め寄せた知らせを受け戦争を回避すべく伊藤と帰国。和平を藩主に訴えるも開国派の井上を狙う保守派の刺客に襲われる。とどめを刺されそうになった際懐中に入れた鏡が刃に当たり難を逃れ、自宅に来ていた医者の治療で一命を取り止める。明治政府では第1次伊藤内閣で外務大臣を務めた際不平等条約改正の一環として鹿鳴館を建設する欧化政策をとるも国民の非難を受け失敗。


三井財閥と癒着しており西郷隆盛から「三井の番頭」と揶揄され江藤新平から不正を糾弾された。元老の1人として政治に重大な発言力を持った。

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