概要
憲政党を前身として1900年に結党された。
伊藤博文が自らの与党として結党した経緯があり、伊藤内閣以降、軍出身の無所属内閣と交互に政権を担当する。
超然内閣が打倒されると、憲政会を首班与党とする内閣に連立与党として参加、のちに離脱。
立憲民政党との二大政党時代となると、保守的な立場として対抗することとなった。
党首である犬養毅首相が暗殺された後は政党政治が瓦解。軍に接近したのち、1940年には解党、大政翼賛会に合流した。
大政翼賛会解散後、生き残った議員たちは日本自由党、民主自由党を結成していき、後には自由民主党の源流の一つとなった。国会初期の立憲自由党から憲政党、そして平成時代の今に至るまで、日本の政党の大半の時代を第一党として歩んできた係累に属すると言える。