概要
全長6m、体重3トンほどの中型の鎧竜である。カナダの白亜紀後期(7640~7560万年前)の地層から、多数の頭骨や部分骨格が見つかっている。
かつてはカナダ・アメリカの白亜紀後期の地層から見つかる鎧竜の多くが本種へと分類されたが、近年見直す動きが強まっている(後述)。
頭部から尾の中ほどにかけて、皮骨板でよく装甲されている。また、尾の先端の皮骨板がいくつか癒合して、大きなハンマーを形成している。ゴルゴサウルスやダスプレトサウルスなどの捕食者に対し、これを用いて身を守ったと言われている。さらに、まぶたにも皮骨板のシャッターが存在する。
体高は低く、貧弱な歯と大きな胴体と合わせ、背丈の低い植物を丸呑みにしていたと考えられる。
発見と命名の歴史
1902年、ローレンス・ランべ(ランベオサウルスの名前の元になった研究者。ゴルゴサウルスなどを記載)によって、カナダ・アルバータ州から発見された部分骨格に基づきステレオケファルス・トゥトゥスが記載された。しかし、「ステレオケファルス」はすでに昆虫に使われていた学名であったため、1910年になってエウオプロケファルス・トゥトゥスとして命名され直した。
1920年、新たな化石がアルバータ州で発見され、鎧竜にハンマーが存在すること、腰の幅が非常に広いことが初めて確認された。1924年、この化石にはディオプロサウルス・アクトスクアメウスという学名が与えられた。また、1926年に関節の繋がった見事な鎧竜の化石が見つかり、その2年後にスコロサウルス・カトラーリとして記載された。
その後、アメリカのモンタナ州でもエウオプロケファルスらしき化石が見つかった。また、アルバータ州で新たに見つかった頭骨にはアノドントサウルス・ランベイという学名が付けられた。
時は流れて1970年代。この頃、鎧竜の分類は混乱の極みに達していた。しかし、ある新進気鋭の学者が、これをうまくまとめあげることに成功する。この時、(半ば暫定的に)彼はディオプロサウルスとスコロサウルス、そしてアノドントサウルスをエウオプロケファルスにまとめた。この研究は広く支持され、やがてディオプロサウルスたちの名は忘れられた。
1990年代にディオプロサウルス復活の兆しがわずかにあったものの、結局復活せずじまいであった。しかし、2009年から連続して発表された論文で、ディオプロサウルス、スコロサウルス、アノドントサウルスは、頭骨や足にはっきりした違いが見られることや生息年代が違うことを根拠として、見事復活を遂げた。
また、モンタナ産の「エウオプロケファルス」についてはオオウコトキアという新しい学名も提唱された。ただし、これについてはあくまでもスコロサウルスとする説も存在する。
その他
エウオプロケファルスの復元骨格は各地で見ることができる。しかし、国立科学博物館(上野)と福井県立恐竜博物館所蔵の実物骨格は、オオウコトキアないしスコロサウルスであるので注意が必要である。