概要
1940年8月、日本陸軍は川崎航空機に対し「時速700キロ出す戦闘機のひな形を作ってみなさい」と命じた。それに応える形で作られたのがこれであった。
川崎航空機は1939年から液冷エンジンを串形に乗せた飛行機の研究をしていたのだが、それが日本陸軍の知れるところとなり、先の要求へと至った訳である。
ダイムラー・ベンツDB601(のライセンス生産バージョン)を機体前方だけでなく操縦席の後ろにも乗せ(これが串形と呼ばれる)、さらには二重反転プロペラなる特殊機構をそなえた。
これによって合計2000馬力以上・最高速度時速780キロを目指したという。
1943年12月に初飛行に成功したものの、その後エンジン火災により飛行計画は中断、そしていつの間にか計画は事実上放棄されてしまった。
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