概要
第二次世界大戦、ナチス・ドイツの占領下に置かされたフランスでB1bisを参考に秘密裏に開発された重戦車である。
フランス機甲部隊の復活を目指して...
第二次大戦中のフランスでは、ドイツ占領下でも極秘の戦車開発が複数行われており、ドイツ海軍向けや民間用などと称して部分的要素や装軌式車体に限って進めていた。CDMという組織に統一されたこの研究はトロリーバスやサハラ横断装軌・レール接続規格、ノルウェーのドイツ海軍向け装軌式雪かき車などを含むような非常に異様なものだったという。
実際、第二次世界大戦前のフランスはソ連に次ぐ世界で第2位の戦車生産国で、運用こそ拙かったがB1bis重戦車などはドイツ軍にとって一定の脅威にはなった。しかし敗戦後、フランスの軽・中戦車の設計は完全に陳腐化、さらに大戦中に戦車は恐竜的進化を遂げ、もはや技術では追いつくのは難しかった。
この計画の目的、それは「ドイツから解放され次第、即刻開発した戦車で部隊を編成し、連合軍の一員として可能な限り戦争に貢献する軍事的努力を確立する」事と、「仕事がなく転職を余儀なくされてしまうフランスの兵器技術者を将来的に十分なだけ確保し技術の喪失を防ぐ」事だった。
残念ながら前者の目的はパリ解放から終戦までが早かったため間に合わなかったが、それでもフランス戦車設計の継続と国威高揚のため60両を生産する事になり、1950年に部隊配備された。
構造
設計は純フランス製にこだわり、足回りなどは既に時代遅れだったB1bisなどのものを発展させたものを採用。エンジンは マイバッハHL 230水冷ガソリンエンジン。装甲は車体正面で120mmの傾斜装甲を採用し、実質170mmの装甲と同等の防御力があるとされた。主砲は当初75mm砲を想定していたものの、利用可能な中でもっとも強力なものが必要とされ、その結果90mmDCA艦載対空砲を採用。この主砲、射撃試験ではあのパンターの7.5cm砲より高精度に撃てると証明されたという。
こうして大戦終結にこそ間に合わなかったが、戦闘能力では決して他国に劣らない戦車として、ARL-44は完成した。
Q.で、実際どうだったの?
A.ダメだったよ...
そもそも足回りがB1bisの発展型である時点で大きく遅れを取っており、またエンジンは575馬力しかないにも関わらず重量が50tまで膨れ上がってしまった結果、最高速度は35km/hと戦後の50トン級戦車としてはもっとも低速になってしまった。おまけに当初は足回りが虚弱だったという。(これは後に改修によって解決したらしい)
さらにフランス軍はARL-44だけでは確実に戦車が足りないと判断し、占領時代の工場を再稼働させることでパンターを再生産し配備していた事も追い打ちをかけた。
結局、部隊配備を一応はしていたものの、フランス市民の前に姿を現したのは1951年7月14日のフランス革命記念祭へのパレードが最初で最後になってしまった。唯一のアドバンテージだった90mm砲も、10年経たずにアメリカでM47パットンが同口径の主砲を搭載した事で消滅し、1953年を目標に段階的に退役することになってしまった。
現在は三両が現存しており、ソミュール戦車博物館、ムルムロン=ル=グランの第501=503戦車連隊、Fontevraud-l'Abbayeの第2竜騎兵連隊にてそれぞれ保存されている。
またフランスが本格的に主力戦車の開発に成功したのは16年後のAMX-30であった。
関連タグ
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