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若松孝二の編集履歴

2011-08-01 18:30:21 バージョン

若松孝二

わかまつこうじ

日本の映画監督・プロデューサー

日本の映画監督 1936年、宮城県生

上京後、職業を転々、新宿でヤクザとなるが、不法監禁等の罪状で逮捕。出所後、テレビ界に転身。助監督として実写版「鉄腕アトム」などの制作に携わる。

退職後、「甘い罠」でピンク映画の監督としてデビュー。「赤い犯行」「鉛の墓標」「情事の履歴書」などの作品を発表。ピンク映画に独自の作家性を導入し、ファンを魅了する。

監督作「壁の中の秘事」がベルリン映画祭コンペ部門に正式招待され、「国辱」として大騒ぎになり、世間の注目を浴びる。

1965年、若松プロダクションを設立。足立正生大和屋竺沖島勲といった人材が結集し、梁山泊の様相を呈する。この頃大島渚唐十郎赤塚不二夫などとの交友も盛んになり、60年代のアングラ文化の中心軸となる。「犯された白衣」「処女ゲバゲバ」「天使の恍惚」等々数多くの作品を発表し、若者達の熱狂的な支持を受ける。北野武がエキストラで出演していたのもこの頃である。

71年、足立正生と共に「赤軍-PFLP世界戦争宣言」を制作。このパレスチナ体験が人生の大きな転機となる。これ以降、パレスチナへの支援を続けることとなり、同時に日本赤軍関係者として幾度も家宅捜索を受けることとなる。

足立正生が離脱した後も、本数こそ減るが、精力的に作品を発表。「黒い獣欲」「拷問百年史」「暴虐女拷問」「十三人連続暴行魔」等を監督する。76年、大島渚監督の「愛のコリーダ」をプロデュース、若松の名はこの作品で国際的となる。

「水のないプール」以降、一般映画に転身。「キスより簡単」「われに撃つ用意あり」「寝盗られ宗介」など、話題作を発表する。

松竹の人事騒動以降は作品数が減るが、21世紀に入り、過去の作風を思わせる「十七才の風景」を発表。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」ではベルリン映画祭フォーラム部門でダブル受賞を果たすなど国際的にも大きな注目を浴び、その健在振りをアピールした。さらに、「キャタピラー」では寺島しのぶが同映画祭で主演女優賞を獲得するなど、大きな話題となった。


作風

ピンク映画は裸さえある程度撮っておけば、後は自分の好きなように撮ることが出来る。こうした特性を活かし、ピンク映画の枠を借りた独自の世界を展開した。

作風の最大の特徴は「反権力」。そもそも彼が映画監督の道を選んだのは、逮捕、服役中に「警官を殺したい」と思ったのがきっかけだという。「映画の中なら幾らでも警官を殺せる」というのがその理由。決して理論家ではないが、そのことが広い意味での反権力性として作品に表れており、多くの人々の共感を読んでいる。

「映画監督は権力の側から作品を作っては駄目だ」「志のない映画は撮るな。志さえあれば映画は出来る」というのが、今日に至るその信条である。



  • 甘い罠
  • 鉛の墓標
  • 情事の履歴書
  • 壁の中の秘事
  • 血は太陽よりも赤い
  • 日本暴行暗黒史・異常者の血
  • 胎児が密漁する時
  • 金瓶梅
  • 処女ゲバゲバ
  • 犯された白衣
  • 狂走情死考
  • ゆけゆけ二度目の処女
  • 赤軍-PFLP世界戦争宣言
  • 天使の恍惚
  • 売春婦マリア
  • 十三人連続暴行魔
  • 暴虐女拷問
  • 餌食
  • 水のないプール
  • われに撃つ用意あり
  • 寝盗られ宗介
  • キスより簡単
  • エンドレス・ワルツ
  • 十七才の風景
  • 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
  • キャタピラー
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