概要
相鉄5000系とは、相鉄初のオリジナル高性能車両の5000系(初代)に始まり、アルミ車体に載せ換え冷房化した5100系、更にVVVFインバータ制御の省エネ車両に改造された5000結果(二代目)と二度の大改造を行った車両であった。
此処では5000系(初代)、5100系、5000系(二代目]の順に車歴を説明する。
5000系(初代)
1955(昭和30)年12月、前年の東急5000系(初代)に続き、張殻構造の軽量車体にして、相鉄初のオリジナル高性能車両として先頭車4両の製造から始まり、4次に分け合計20両が製造された。
主な特徴は
1・ボディマウント式張殻構造の軽量車体
2・全電動方式の直角[[カルダン])駆動の採用
3・多段式制御装置と電気・空気併用ブレーキの採用
4・窓周りグレー、上下にライトブルーグリーン(青竹色)と赤帯の新塗装を採用
し、これまでの国鉄戦災復旧車や東急からの中古車が多かった相鉄沿線に大きなインパクトを与えた。
車番は先頭車・中間車を問わず通し番号で製造された。
1次試作車 モハ5001~5004 モーター出力55kW×4で17メートル車両
2次量産車 モハ5005~5010 モーター出力75kW×4にパワーアップし、18メートルに延長
3次量産車 モハ5011~5016 台車を空気バネに変更
4次最終量産車 モハ5017~5020 中間車で3次車に組込
やはり生産コストが高く就いた為、20両で生産終了となり、1961(昭和36)年からは、M-T編成で相鉄初の20メートル4扉車6000系へ移行した。
高度経済成長期の輸送力に貢献するも、ボディマウント構造で機器保守が難しかったのと、軽量車体の為、老朽化が激しくなったのと、17・18メートル3扉で輸送力が不足する様になった為、1972(昭和47)年から1975(昭和50)年に掛けアルミ車体20メートル4扉車の5100系へと改造された。
5100系
1972(昭和47)年から1975(昭和50)年に掛け、東急車両(現・総合車輌製作所)へ4回に分けて改造された。
主な特徴は
1・日本の鉄道車両では初めて油圧式自動パワーウインドウが採用された
2・相鉄初の最初から冷房搭載の車両
で、改造番号は現番号+100となり、モハ5101~5104は試作車から、5105~5112は2次車から、5113~5120は3・4次車からそれぞれ改造された。
当初こそは相鉄のサービスアップに貢献するも、長編成化に伴い、試作車改造のモハ5101~5104編成は次第に予備車と化した。
今度は電機機器の老朽化と運用効率化の為VVVFインバータへ再改造される事になり、車番も再び5000系(二代目)となった。
5000系(二代目)
1988(昭和63)年に制御装置をVVVFインバータへ再更新し、全電動方式から4M6Tの10両編成に再組成し、旧モハ5101~5104編成を分割し、8両2本に増結する形で10両化され、不使用の運転台は撤去され、5000系(二代目)に改番された。
車内は新たに次駅表示器が設置されたが1999(平成11)年に使用停止となった。
相鉄10000系の増備で第1編成が引退し、第2編成も秒読みかと思われたが、2007(平成19)年から始まった塗装変更の予備車確保で延命し、2009(平成21)年春に遂に引退し、形式消滅となった。
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