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九条兼孝の編集履歴

2019-12-04 15:53:11 バージョン

九条兼孝

くじょうかねたか

九条兼孝とは安土桃山時代から江戸時代初期の公卿

重要

父は関白左大臣二条晴良、母は伏見宮貞敦親王の娘、位子女王、大叔父、九条稙通養子になる。官位は従一位、関白左大臣


生没年

天文22年11月20日(1553年12月25日)-寛永13年1月17日(1636年2月23日


経歴

永禄3年(1560年)に従三位、天正4年(1576年)に左大臣に就任、天正6年(1578年)に関白に就任し天正9年(1581年)に辞任。天正10年(1582年)に従一位、慶長5年(1600年)に再び左大臣と関白に就任した。慶長6年(1601年)に左大臣を辞任、慶長9年(1604年)に関白を辞任しその後出家した。


系譜

父:二条晴良

母:位子女王(伏見宮貞敦親王の娘)

養父:九条稙通

妻:高倉熙子(高倉永家の娘)

長男:九条幸家

次男:増孝

女子:八条宮智仁親王


外部リンク

九条兼孝 - Wikipedia


関連項目

朝廷 公卿 九条家 二条家 藤氏長者


第16代九条家第17代九条家第18代九条家
九条植通九条兼孝九条幸家
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