西洋史における「カノッサの屈辱」
世界史を学んだ人の大部分が覚えている単語。
ローマ教皇グレゴリウス7世とローマ王ハインリヒ4世は聖職叙任権をめぐって対立していたが、
グレゴリウスはハインリヒを破門(宗教的な意味で)にしてしまう。
当時、破門されるという事は大変に重大な事で、言うなれば「お前は人の形をした何か」
と、言われているようなものであり、人間としての存在を否定されていると言っても
過言ではなかった。
これを受け、ハインリヒ4世はグレゴリウスに許しを乞うため、カノッサ城門にて、雪の降りしきる中三日間もの間、破門の解除を願った。
因みに、ハインリヒ4世はドイツに帰った後、直ぐに準備を整え、再び聖職叙任権をめぐって対立し、
今度は軍勢を率いてローマを囲んだ。この途中、グレゴリウス7世は辛くも包囲を抜け出したが、
その後に客死(普段住んでいない、他の土地で死ぬ事)した。
これは自業自得と言うべきか、それとも可哀想と思うべきか...
(許して貰ったくせに殺りにくるあたり、随分下衆な気がしないでもないが)
これは当時の教皇の絶対的な権力の象徴とも言うべきである。
教皇の圧倒的権力はインノケンティウス3世の時に絶頂を迎えるのであった。
「カノッサ」というどことなく中世ヨーロッパ的な語感と、雪の中で皇帝が教皇に謝り続け許しを請うという本当に屈辱的な内容が青少年の記憶に刻み込まれるのだと思われる。
また、世界史の比較的早い段階で出て来るのも幸いしているのかも知れない。
エロ関連でよくネタにされる「マンコ・カパック」や「滅満興漢」とはまた違った味のある単語である。
深夜番組『カノッサの屈辱』
ちなみに同名のテレビ番組が1990年、フジテレビの深夜帯(JOCX-TV2)で放送された。ホイチョイプロダクションらしい世界史の教養番組のふりをしたバラエティー番組であった。