概要
タワンティンスーユ(クスコ王国、のちのインカ帝国)の初代皇帝。日本人からしたらトンデモネーミングにしか聞こえないが、「偉大な礎」という立派な意味を持ち、建国の祖に相応しい名といえる。
ちなみにインカ帝国最後の皇帝でアタワルパの弟のマンコ・インカ・ユパンキという名前である。まさしくインカ帝国はマンコに始まり、マンコに終わったのである。
ほぼ全てのクロニカ(西洋側が作った記録文書)でタワンティンスーユの始祖とされ、アカママ村の4分割、クスコ王国建国など逸話は多い。
しかし、文字を持たなかったとされるタワンティンスーユの情報は多分に西洋側の視点が盛り込まれたクロニカが伝えるのみであり、こうした文献情報を無批判に受け入れることは難しい。
インカ側が文字情報を残した可能性としてキープ(結縄)が挙げられるが、仮にキープから文字情報が得られた場合でも、キープは「キープカマヨック」と呼ばれる極めて高位のインディオ(役人)が残した国家の記録であり、マヤの碑文と同じく情報の取捨選択がなされている可能性が高い。
こうした文字情報の曖昧さは歴史学が常に直面する壁であり、こうした障壁を乗り越えるため文化人類学や考古学との連携が期待される。
現在までの考古調査から、歴代王で実在したとする物証が見つかっているのは第9代王(シエサ・デ・レオンの記述では第10代王)パチャクテクまで。つまり初代のマンコから8~9代目の王様までは伝説上の人物で実在しないとする説が古くから提唱されている(ちなみに日本史でも似たような事例があり、「欠史八代」といって2~9代目までの天皇は伝説上の人物と考えられている)。
なおパチャクティの先代の王は「インカ・ビラコチャ」とするクロニカが多いが、パチャクティの兄「インカ・ウルコ」を王とする記述もある。
もっとも、クスコには後期中間期から定住が始まっていた事を匂わせる遺構が見つかっており、仮にマンコが実在しなかったとしても、クスコの地で人々が定住を始めた時期はインカ帝国以前までさかのぼると思われる。
マンコの実在やクスコの歴史変遷を解明するためにはクスコ周辺の大規模な考古発掘が必要とされるが、現在も都市として、また観光地として機能しているクスコ周辺でそうした調査を実施することは難しく、これらの問題に結論が下される日は遠いだろう……。
余談
東海地方で活躍するシンガーソングライターの「つボイノリオ」はこのマンコ・カパックの偉業を讃えた歌『インカ帝国の成立』を歌っている。
しかし当然というか名前ネタで卑猥な連想を掻き立てるフレーズも多い。
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