世界的観点で見た社会党
社会主義の理想を掲げる政党として知られ、その定義は各国においてそれぞれに違ってくるが、社会主義と共産主義は必ずしもイコールではない。手短に言えば数ある社会主義のうちの一つが共産主義ということになる。現在、資本主義をまったく取り入れていない(かつ共産主義でもない)純粋な社会主義国家というのは存在せず、名称だけの存在に近く、日本の社会党のように名称を改名した党も多い。
冷戦時代の東側陣営では東ドイツが一党支配をしていたことで知られ、現在でもフランスの政権与党が社会党である。
日本の社会党
一番知られているのは、1945年に結成、初の総選挙では第1党となり、片山政権を作り、その後左右派に分裂、1955年に統合、以降は主に野党第1党となった日本社会党である。なお同じ年自由民主党も結成されたことから、俗に「55年体制」と言われるようになった。その後も左右両派の抗争は激しく、分裂を繰り返しては弱体化が進み、自民党の支配体制を崩すまでには至らなかった。
転機となったのは1986年に土井たか子が委員長に就任してからで、消費税やリクルート事件、宇野首相の女性問題スキャンダルもあり1989年の参議院選挙では自民党に対し圧勝しており、翌年の衆議院選挙でも躍進、この時初当選した議員には仙谷由人、松本龍、岡崎トミ子、赤松広隆など現在の民主党の要職に就く者が多かった。
1993年の新党ブームと反自民ムードは逆に社会党を追い詰め、1990年に増やした議席を大きく減らす結果となった。それでも公明党、日本新党、新党さきがけ、新生党などと共に細川連立政権を樹立するが、実は数の上ではそれでも社会党が第1党だったにもかかわらず、与党内勢力争いでは後塵を喫しており、翌年にはこれが響いて連立政権を離脱。遂には長年の宿敵であった自民党と連立政権を樹立することとなり、委員長である村山富市が首相となったが、逆に自衛隊・原発・安保容認などのこれまでの方針とは180度の転換で、国民や所属議員からの信頼を失う結果となり、これも短命政権に終わる。
この間に行われた各種選挙でも次々に敗退する体たらくで、結局1996年に社会民主党に改組され、約半数の議員は社民党でなく民主党に合流している。