ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

楽就の編集履歴

2021-03-13 21:50:05 バージョン

楽就

がくしゅう

楽就とは、中国後漢時代末期の武将。

概要

生年不詳、197年没。字は不明。


皇帝を僭称した袁術配下の武将。

建安2年(197年)に曹操の領土である陳国へ進攻したが、曹操が自ら討伐に乗り出すと袁術は楽就と橋蕤李豊梁綱らの将軍を陳国へ残し、自分だけ本拠地の寿春へと逃げ帰ってしまった。楽就は他の将軍達と友に曹操軍を迎撃するものの、敗北し戦死してしまった。


三国志演義では曹操らが寿春に攻め込み、逃げる袁術の命により寿春城を李豊・梁剛(正史の梁綱)・陳紀らと共に守ろうとするが曹操軍の猛攻の前に敗北。城は陥落し楽就は他の将軍と共に城内の市場に引き出され処刑される。


関連タグ

袁術 曹操 橋蕤 李豊 梁綱

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました