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MiG-15の編集履歴

2011-12-31 17:18:10 バージョン

MiG-15

みぐじゅうご

第二次大戦後、ソビエトが開発した戦闘機。ドイツから接収した研究資料や技術者を投入して設計され、エンジンはイギリスから輸入したものを改良して搭載している。迎撃に重点をおいており、上昇力や火力に優れている。

はじまりはイギリス製

第二次大戦前、ソビエトも来たるべきジェット機の時代を見据え、

ジェットエンジン「RD-1」の開発を進めていた。

しかし、そのさなかにドイツが侵攻して「ドイツ・ソ連戦争」が勃発して開発作業は棚上げとなった。


1944年、ジェットエンジン開発計画は再始動。

戦争で獲得したドイツの技術者や研究資料も吸収し、1946年にはMiG-9戦闘機が初飛行した。

しかし、それは満足する性能には至らなかった。

満足する性能のためには、より推力の大きい新型エンジンが必要だったのだ。


そこで、ソビエトイギリスに当時最高のエンジン「ニーン」と「ダーヴェント」の売却を打診する。

交渉はソビエトが食糧を輸出し、代わりにエンジンを購入することでまとまった。

こうして、ソビエトは最高のエンジンを手に入れる事となったのである。


ドイツの科学力とソビエトの工業力

イギリスからエンジンを輸入したソビエトは、さっそくコピー生産に取り組んだ。

ミグ設計局が選んだのは「ニーン」エンジンを使った戦闘機だった。


コードネーム「I-310」開発計画は、正式な指示の出る前に始まっていた。

設計局内部での名称は「製品(イズデーリャ)S」。

ドイツから押収した技術者や研究資料を最大限に活用し、

後退翼やT字尾翼といった最先端の技術をふんだんに盛り込んだ。

名実ともに、まさに当時の最高・最先端の戦闘機だった。


1947年12月30日、MiG-15は初飛行に成功。

翌年夏、正式に「MiG-15」の名称と生産命令が下る。

1949年には「数あるジェット戦闘機の中から、生産をMiG-15一本に絞る」との指示が下された。

かくして9つの工場がMiG-15を生産する運びとなり、

MiG-15はソビエトを代表する戦闘機になったのだ。


朝鮮半島にて

高性能を発揮する機会は早くにやってきた。

1951年、北朝鮮軍に反転攻勢を挑んだ国連軍は強敵に遭遇する。

それがMiG-15である。

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