人物
佐々木 禎子(ささき さだこ、1943年1月7日 - 1955年10月25日)は、広島県広島市に住んでいた原爆の被爆者である少女である。広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルにもなっているほど著名な被爆者。
1945年8月6日、当時2歳だった禎子は、爆心地から1.5キロ離れた自宅で被爆。奇跡的に一命を取りとめたものの、小学校6年生の年末に白血病を発症し、日赤広島病院に入院。「鶴を千羽折ると願いがかなう」と言う級友の言葉を信じ、鶴を折り続けたが病状は改善しなかった。そして不運にも、1955年に12歳という異常なほどの若さでこの世を去った。
級友39人が、彼女の死を悼む文集「こけし」を発行したことから、「広島平和をきずく児童・生徒の会」が結成され、募金活動へと進展。その後、広島市の平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成。
原爆と折り鶴
病人の回復を願う千羽鶴と、広島の平和への祈りが何故結びついたのかは知らない人も多いだろうが、実はきちんとした由来がある。…というより、まさに佐々木禎子の出来事が由来なのだ。広島市で原爆により白血病を発症した佐々木禎子が、入院中に周囲の患者らと病状の回復を信じて沢山の折り鶴を作っていた。
しかし、禎子自身は12歳という若さで亡くなってしまい、その想いは禎子の同級生へと受け継がれた。そして、同級生らの募金活動により禎子が頭上に大きな折り鶴を掲げた像が完成した。以来、平和を願って折られた千羽鶴が日本国内に限らず、世界中から広島市の「原爆の子の像」へ届くようになった。それらは像の元にある収容台に吊るされ保管されている。